正司歌江(4)社長に「時代に合わない…定年しなさい」

関西レジェンド伝
おなじみのテーマソングとともに、かしまし娘は絶大な人気だった

 かしまし娘はテレビで全国的に人気になりました。放送開始の頃は生放送だったから、舞台からの中継でした。それがVTRができて収録ができるようになると、舞台の後にテレビ局に行って収録という生活に。そりゃ大変でしたね。

 1964(昭和39)年に東海道新幹線が開通すると、東京と大阪を行ったり来たり。花江ちゃんが先に新幹線のホームへ走っていって、足でドアを止めて「お姉ちゃん、早く!」なんてこともありました。

 タクシーの中で台本を渡されて、覚えて、ネタ合わせして、テレビ局についてすぐネタやる。そのうち、そんなに売れんでもええわと思うようになってきます。寝るひまもない。化粧を落とす時間もない。妹たちの体がガタガタ。とくに照枝は肺結核で血を吐きながらやってたんです。

 会社は私らが働けば儲かるけど、私らは月給制だからなんぼ働いても給料は同じ。休ませてくださいと松竹芸能の勝忠男社長に言ったら、次の週からパタッと仕事がなくなった。うれしいと思ったけど、3日も休んだら飽きてきて、謝りに行きました。

 私は霊感があって、不思議なこともありました。息子が3つのとき、忘れもしないアポロ11号が月面着陸した(1969年)7月20日の昼2時。大船(神奈川県)の撮影所に向かうタクシーに乗ってるとき、車の前に子供が横切るのが見えたんです。「止めて! 子供をひいた!」と叫びました。

 息子はその頃、大阪の自宅のそばで車にはねられ、7メートルくらい飛ばされ、脳内出血。撮影所に着いて連絡を受けました。私が泣いているから、コント55号の坂上二郎さんと萩本欽一さんが心配してくれ、「すぐ帰りなさい」とスタッフさんに話をつけてくれ、大阪に帰る新幹線の手配までしてくれました。

 病院に着くと、息子は頭を氷につけられていた。お医者さんに「今晩がヤマです、水を欲しがっても飲ませてはいけない」と言われてましたが、かわいそうで牛乳を飲ませてあげた。そうしたら、意識が戻りました。後遺症もなし。息子はテレビの仕事に就き、欽ちゃんの仮装大賞のディレクターをしています。不思議な縁です。

 かしまし娘は80年に25周年を迎えました。妹とはどつき合いのけんかもしました。とくに照枝とよくもめました。だいたいは芸事のけんかですけどね。端から見てると、漫才みたいでおもしろかったらしいです。

 かしまし娘が終わるときは先に新聞に出てた。81年5月のことです。記者に「かしまし娘、やめるんですってね」と聞かれ、「えー」。少々のことじゃ驚かないけど、このときは驚いた。3日後ようやく勝社長に会えると「かしまし娘は今の時代に合わない。定年しなさい」と言われ、照枝は松竹新喜劇に参加することになっていたんです。私たちはひとりひとりで仕事をすることになりました。

正司 歌江(しょうじ・うたえ)

 1929(昭和4)年8月13日生まれ、89歳。北海道出身。56年に姉妹で音曲漫才トリオ、かしまし娘を結成。81年に活動休止し、女優として活躍。

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