さようなら桂歌丸師匠/週末エンタメ

 
地元・横浜橋通商店街には歌丸さんをしのぶ横断幕が掲げられた

 歌丸師匠との時間が楽しくて、落語会に通い詰めた。高座はもちろんのこと、昔の横浜の景色が映像で浮かんでくるような、師匠と交わす会話が大好きだった。

 昨年10月に文化報道部でスタートした「週末エンタメコラム」。落語や舞台のコラム担当になり、あいさつにうかがった際「わが家はね、50年以上、産経新聞を購読しているんですよ。優良愛読者です」と、一気に場を和ませるお心遣いをくださった。

 歌丸師匠と同じく私も横浜出身。その旨をお伝えすると「ハマっ子なのね」とお会いするたび、30ちょっと年齢が下の私に、昔の横浜の話をしてくださるようになった。

 「横浜の繁華街といえば、伊勢佐木町。今とは全然違う風景でしたよ」

 横浜は“基地の町”だった。伊勢佐木町の中心には米軍が設営した、かまぼこ型の体育館「フライヤージム」でアメリカ人がバスケットをしていたり、その先がアメリカ人専門デパート、通称“PX”で、繁華街の裏通りが小型機専用の飛行場だった話など、その時代を知らぬ私に多くを授けてくださった。

 伊勢佐木町には映画館も立ち並び、“ハマの文化”も隆盛だったと話していた。日本初の洋画封切館「オデヲン座」にもよく足を運んだそうだ。

 さらに「家の近くに“ヨコギン”という映画館がありましてね。よく行きましたよ」。師匠の庭ともいえる横浜橋通商店街にあった映画館の「横浜銀座」、通称“ヨコギン”。1948(昭和23)年に大ヒットした佐田啓二主演の「鐘の鳴る丘」のシリーズを見に、当時12歳だった厳(いわお)少年(師匠の本名は椎名厳さん)は、通い詰めたとのことだった。

 そして今年の3月14日、横浜にぎわい座。「お笑いぱっちり倶楽部寄席」で落語を披露する予定が、体調が思わしくなく、落語家や芸人で成す写真同好会の座談会に専念。同好会の会長として、ナイツや三笑亭夢太朗、江戸家まねき猫らと壇上で楽しそうに写真の論評をした。

 終演後「元気になってまた高座をしっかりとつとめるので、待っていてくださいね」と歌丸さん。そこで「私が今までに聞いた師匠の落語は、なぜか『つる』や『ねずみ』の“動物シリーズ”の演目が多いです。癒やされます」というと、師匠は「なぜ動物が多いかというと、私の好物が商店街の、たぬきそばだからです」とまさかの“動物返し”。顔をくしゃくしゃにして笑っていた。

 それが最後になるとは思わなかった。旅立ちの一報に横浜橋通商店街を訪れ、献花をした。“ヨコギン”の跡地で手を合わせ、たぬきそばの店にも立ち寄った。「歌丸通商店街」へ改称する動きも出てきているそうだが、隣接する大通り公園に植えられている「歌丸桜」も、さみしそうだった。

 普段は音楽がかかっているにぎやかな商店街には、師匠の落語「紙入れ」や「厩火事」が流れていた。声を張り、しっかり、おつとめになっていらっしゃるではありませんか-。歌丸師匠、涙が出ます。ありがとうございました。(山下千穂)

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