2018.10.10 05:00

【甘口辛口】型破りな横綱だった輪島大士さん 波乱万丈の人生を泳ぎ切った、さすがのたくましさ

【甘口辛口】

型破りな横綱だった輪島大士さん 波乱万丈の人生を泳ぎ切った、さすがのたくましさ

 ■10月10日 逸話がありすぎて何から書いていいか迷ってしまう。亡くなった第54代横綱輪島大士さんのことだ。日大で学生横綱となり幕下付け出しでデビューし、わずか3年半でプロの横綱になった。地方場所は高級ホテル住まい。東京では夜な夜な超のつく高級外車で銀座や赤坂に出没した。まさに型破りな横綱だった。

 黄金といわれた左下手投げは強烈だったが、天才肌で稽古嫌い。その代わり「力士は走ると腰が軽くなる」との言い伝えを無視してランニングで調整した。“土俵の鬼”こと一門の二子山親方(初代横綱若乃花)はそれを聞いて「走って強くなるなら君原(マラソン)は横綱だ」と苦虫を噛みつぶしたものだ。

 話し好きだったが、ど忘れも横綱級。大関昇進で使者を迎えたとき「謹んでお受けします」と言ったきりど忘れで絶句した。「18世紀初め世界で一番人口の多かった都市は」と一問だけあらかじめ教えられたテレビのクイズ番組では、問題が出た途端答えをど忘れし「えーと、えーと」。すると司会者が「そう江戸です。正解」と助け舟を出した。

 14回優勝し引退後は花籠部屋を継いだものの奔放な金銭感覚は部屋経営者でもある師匠には向かず、金銭トラブルもあって5年ともたずに廃業した。その後、プロレス転向やアメフット社会人チームの総監督就任など話題には事欠かず、電話取材で名前を言うと「えーと、えーと」と言いながら思い出してくれた。

 昨夏には長男の大地君が天理高の投手として甲子園の土を踏んだ。晩年は病魔と戦いながら“どっこい生きている”と波瀾万丈の人生を泳ぎ切った。そのたくましさはさすがだった。こんな天才肌の横綱はもう出まい。合掌。 (今村忠)