【ダンカンが訪ねる昭和の侍】
タレント、ダンカン氏(62)が昭和の時代を彩った名バイプレーヤーを訪ねるオフ企画。第2回は昭和50年代に速球派左腕として巨人、ロッテなどで通算16勝を挙げた小俣進さん(69)の登場です。ユニホームを脱いだ後は巨人で長嶋茂雄元監督(84)=現終身名誉監督=の専属広報を長らく務めた小俣さんから続々と出てくるミスター秘話に、大興奮なのだ!!
◇
かつて球場で顔を合わせていたときの肩書は、『終身名誉監督付き総務部主任』という漢字12文字のやたら長いもの。さらに肩書だけでなく、『長嶋茂雄と最も長い時間を共にした男』という経歴が加わるのだった。
その人の名は小俣進。1973-85(昭和48-60)年の現役時代は左の速球派で、広島-巨人-ロッテ-日本ハムと4球団のユニホームに袖を通した。巨人で貴重な中継ぎだった4年間は、長嶋監督の第1次政権中。第2次政権では専属広報となり、監督退任後も常にミスターの隣にピタリ…。2004(平成16)年3月にミスターが脳梗塞で倒れたときも、その後の壮絶なリハビリの日々も、翌05年7月に東京ドームで奇跡の復活観戦を果たした際も、寄り添う姿があったのだった。
東京ドーム近くのホテルでお会いした小俣さんは、長嶋さんの横に立っていたときより、どこか穏やかな表情に見えた。
「そーなんだよ! 四六時中一緒なのに、常に新鮮な緊張感があるから表情も硬くなるんだろうね」
何十年も一緒でも慣れない…?!
「それが、全く慣れないんだよねぇ…。長嶋さんの関係で、社会的地位が立派な方々と何人もお会いさせていただいたけど、そちらは大丈夫なのに、あの人だけは格別というか、オーラを放ち続けているというか、不思議だよねぇ」
あっ、おれも(師匠の)ビートたけしさんに同じものを感じているなあと、心の奥で納得するのだった…。明るく朗らかな長嶋さんだが、実は怒ると怖いって本当なのだろうか。