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【ダンカンが訪ねる昭和の侍】水谷新太郎さん、V予言叶えてくれた2大師匠の教え

【ダンカンが訪ねる昭和の侍】

水谷新太郎さん、V予言叶えてくれた2大師匠の教え

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現役時代の水谷新太郎さん(左)。当時の広岡達朗監督から遊撃守備の基本をたたき込まれた

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 『虎の通信簿』でおなじみのダンカン氏(62)が、このオフも昭和の時代を彩った名バイプレーヤーを訪ねます。第1回はヤクルトの遊撃手として、1978(昭和53)年の球団初のリーグ優勝と日本一に貢献した水谷新太郎さん(67)。どんなに新型コロナウイルスに邪魔をされようと、決して歩みを止めないプロ野球。その歴史は、“いぶし銀”の活躍をみせた昭和の侍たち抜きでは語れない。

 『僕は将来、弱いヤクルトに入団してレギュラーになり、チームを日本一にしたいと思っています』

 中学時代、作文にこうつづった少年は、10年後の1978(昭和53)年10月22日、パ・リーグの覇者・阪急(現オリックス)を下し、ヤクルト初となる日本一の胴上げの輪の中にいたのだ。

 大胆な作文を書いた水谷新太郎さんにお会いしたのは、東京都下のカフェだった。子供の頃から熱狂的なヤクルトファンだったんですよね?

 「いや、全く! とにかく、あの当時のヤクルトは弱かったでしょう」

 そう。俺の小学生時代、“セ・リーグのお荷物”なんて呼ばれていたのだ。

 「僕は内野手ですけど、ヤクルトの選手は武上(四郎)さんと丸山(完二)さんくらいしか、頭に浮かばなかったんですよ…」

 要するに、他の選手はそれほど有名ではなかったと。67歳になった元予言作文中学生は「子供だから思っちゃったんでしょうね」と、現役時代と変わらない、ちょっぴり照れくさそうな甘いマスクで笑ったのだった。

 とにかく守備がうまかった! 人工芝全盛の現在と違い、本拠地の神宮球場、甲子園球場、旧広島市民球場、中日球場、川崎球場と軒並み土のグラウンド。巨人の後楽園球場は76(昭和51)年に日本初の全面人工芝に生まれ変わったのだが、初期の人工芝はコンクリートの上にじゅうたんを敷いたみたいなもので、カチンカチンだったと聞いたことがあるのだ。

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