2021.1.11 10:00

おかえり!ノムさんを通じて分かったこと 11日深夜締切クラウドファンディング

おかえり!ノムさんを通じて分かったこと 11日深夜締切クラウドファンディング

特集:
おかえり!ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に。
2019年に宮崎で開催されたジャイアンツーホークスのOB戦でかつてのライバルに顔を合わせた野村克也さん(前列)。長嶋茂雄さん、張本勲さん、王貞治さん(後列左から)と黄金の4ショットだ

2019年に宮崎で開催されたジャイアンツーホークスのOB戦でかつてのライバルに顔を合わせた野村克也さん(前列)。長嶋茂雄さん、張本勲さん、王貞治さん(後列左から)と黄金の4ショットだ【拡大】

 大丈夫か、この企画?

 プロジェクトの立ち上げを聞かされた瞬間は、不安だけが先行した。世の中は「名将」になる以前の「南海ホークスの野村克也」をどこまで覚えているのか? 不安を増幅させたのが、後輩記者の言葉だ。

 「南海ファンなんて見たこともないし、もちろん話したこともない」

 1988年に消滅した伝統球団の認知度は、この程度のものかと思い知らされた。

 偉大な足跡が全く残されていない“ホークスギャラリー”に野村さんを戻してあげよう…という、発起人の南海OB江本孟紀氏の思いから始まった「おかえり! ノムさん大阪球場(なんばパークス)に。」プロジェクト。考えは大賛成だけれど、ノムさん、この状況で戻れるんかなぁ? 失礼な思いを抱きつつ取材に入った。

 が、すぐにすべてが杞憂だと判明する。球史に残る大打者・野村が若き日に研鑽したキャンプ地・呉市。猛練習の日々とともに、夜の街で歌っていた曲目まで教えてもらえた。いかに記憶に残る存在だったかが伝わってきた。

 和歌山・田辺キャンプを紹介した記事を読んだという読者から「宿舎前の海岸で練習をなさっていた」という新情報もいただいた。

 監督時代に過ごした大阪・豊中市の自宅。毎晩練習したマンション前の風景は40年以上が経過し様変わりしていたが、近所の方々の記憶は鮮明だった。「野村さんがいらっしゃったおうちですよね」と何人の方にも案内していただいた。

 最大の“衝撃”は呉市にある鶴岡一人記念館でのできごと。今回のプロジェクトを告知するチラシ(当然、野村さんの写真がメイン)を館内に置いてほしい、とお願いした。

 「おまえ、よくそんなお願いしたな。絶対に無理やろ。断られたやろ」

 そう言ったのは南海OB、柏原純一氏。野村さんの秘蔵っ子であり、南海を去る時期の複雑な事情を目の当たりにしている。当人同士にしか分からない確執があったという。だから「鶴岡記念館に野村のチラシ」はあり得ないと言い切った。

 ところが担当者は快諾。何事もなく、ごく自然に、鶴岡記念館に「野村」のチラシは積み上げられた。

 分かったことがある。野球とは別の世界の、人間同士の関係など、今やほとんど誰も覚えていないということ。覚えているのは「南海・野村」というすごい選手がいたということだけ。「野村」が不在の南海の歴史のほうがあり得ないのだ。

 世の中がそう感じている証拠が、今回のプロジェクトの推移。最終日を前にすでに目標(2000万円)をはるかに上回る4000万円を超えた。

 えっ、今から協力したい? 大丈夫です。締め切りは1月11日23時59分59秒まで。まだ間に合います。クラウドファンディング支援サイトキャンプファイヤー(https://camp-fire.jp/)まで。(上田雅昭)