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木内元監督が死去 「木内マジック」で甲子園3度V、KKをダルを倒した名将

木内元監督が死去 「木内マジック」で甲子園3度V、KKをダルを倒した名将

2003年夏の甲子園初戦を突破したときの木内監督。何歳になっても、笑顔がトレードマークだった 

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 茨城の取手二高、常総学院高の監督として春1度、夏2度の甲子園大会優勝を果たし、その采配が「木内マジック」と称された木内幸男(きうち・ゆきお)さんが24日午後7時5分、肺がんのため茨城・取手市の病院で死去した。89歳。葬儀・告別式は30日の予定で喪主は娘婿の岡田誠(おかだ・まこと)氏。

 茨城弁での指導で親しまれ、常に甲子園の歴史の中心にいた木内さんが、天国へ旅立った。

 旧制土浦中(現土浦一高)で主将を務め、卒業後はコーチとして安藤統男(のちの阪神監督)らを指導。1957年に取手二高に就職して野球部を指導し、強豪校に育てた。教員免許は持たず、事実上のプロ監督として指導を続けた。

 77年夏の初出場から、春夏合わせて甲子園に6度出場。53歳だった84年夏は石田文樹(のちに大洋)らを擁し、決勝でともに2年生の桑田真澄(のちに巨人など)、清原和博(のちに西武など)らがいた優勝候補のPL学園高(大阪)を延長十回の末、8-4で下し、茨城県勢として初優勝を果たした。当時は「どうせ言ったって言うことを聞かない連中だから」と、のびのび野球で育てた。茨城弁で選手を叱咤(しった)激励し、豪快に笑うキャラクターで全国区となった。

 85年に創立3年目の常総学院高の監督に就任。87年夏に島田直也(のちに日本ハムなど)、仁志敏久(のちに巨人など)らを擁して準優勝。その後、同校は甲子園の常連となり、2001年の選抜大会で初優勝。勇退を決意して迎えた03年夏の甲子園では、決勝でダルビッシュ有(現カブス)を擁する東北高(宮城)を4-2と逆転で下し、自身3度目の全国制覇を成し遂げた。

 スクイズや継投など思い切った策が的中し、「木内マジック」と称された。だが本人は「マジックなんかじゃねえ。マジックは種明かしもある」と反論したこともあった。教え子を地道に観察し続けて、能力や性格を把握。優れた眼力を相手にも注ぎ、好投手を攻略した。対ダルビッシュでは「2球目まで全力で来るが、3球目は抜くもんだ」と、隙もあると教えて逆転につなげた。

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