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【よみがえるノムラの金言】野村克也氏「これで負けたら、俺を監督にした球団の責任」

【よみがえるノムラの金言】

野村克也氏「これで負けたら、俺を監督にした球団の責任」

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よみがえるノムラの金言
さようなら 野村克也さん追悼
2014年4月18日の巨人-中日戦で、岡田(左)に声をかける選手兼任の谷繁監督

2014年4月18日の巨人-中日戦で、岡田(左)に声をかける選手兼任の谷繁監督【拡大】

 天下の知将も、人間ぽかった。2月11日に急逝した野村克也氏(享年84)が、専属評論家としてサンケイスポーツに残した言葉は、理論やデータを前面に出したものばかりではない。今回は「俺を監督にした球団の責任」。どの世界でも、やはりそこに行き着きます。 (構成・内井義隆)

 理論派。知将。データ野球の先駆者。ノムさんには、どこか仰々しい代名詞がついて回る。一方で、人間的な、もっといえばサラリーマン的な思考回路も、ときに披露してくれた。

 やっぱり、そうでしたか?

 思わず突っ込んでしまったのは、2014年4月18日、巨人-中日(東京ドーム)の『ノムラの考え』だ。

 ことわっておくと、この評論もいつも通りのシビアなタッチで、プレーイングマネジャーでもある中日・谷繁元信捕手へ向けて、スタートした。

 一回に四球、二回も四球、三回は安打と、3イニング連続で先頭打者を出塁させ、走者を気にしては、また走者をためられ、痛打を浴びた。三回までに5失点で、勝負あり。

 先発した若手投手が、強力な巨人打線を前にして、慎重になりすぎ、自らにプレッシャーをかけるかのような崩れ方をした。まだ発展途上で、明らかに荷が重かった、と評している。

 「しかし私は、未熟さだけでなく、窮屈さも感じた。もっと伸び伸びした考え方が、あってもよい」と、ここから谷繁兼任監督への助言へと進んだ。

 いうまでもなくノムさんも、1970-77年に南海(ソフトバンクの前身球団)で捕手兼任監督だった。その体験談が、興味深い。

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  • 1973年10月22日、南海の選手兼任監督だった野村さん(右)と阪急とのプレーオフ第3戦で完投勝利を挙げた江本孟紀氏