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【本紙専属評論家ここだけの話】デーブ大久保氏、94年日本S代打同点弾につながった1人vs阪神ファン1万人とのにらみ合い

【本紙専属評論家ここだけの話】

デーブ大久保氏、94年日本S代打同点弾につながった1人vs阪神ファン1万人とのにらみ合い

1994年10月26日の日本シリーズ第4戦(西武ドーム)。デーブ氏(右)は九回に起死回生の同点弾を放った

1994年10月26日の日本シリーズ第4戦(西武ドーム)。デーブ氏(右)は九回に起死回生の同点弾を放った【拡大】

 本紙専属評論家が今だから話せるとっておきのエピソードを明かす連載の第4回は、元楽天監督のデーブ大久保氏(53)が“生涯忘れない思い出”を語る。1992年に西武から巨人に移籍。少年時代から憧れていた甲子園球場で行われた伝統の阪神戦に臨んだが、そこで味わった強烈な経験とは…。(随時掲載)

 甲子園って子供の頃から最高に憧れた舞台だった。水戸商高2年のとき、夏の茨城大会で決勝まで進みながら敗れたときは本当に悔しかった。3年では3回戦負け。今年の球児が戦うことすらできなかったのに比べれば幸せだけど、甲子園は届かない遠い夢だった。

 だから、西武に入団して1年目の1985年、オープン戦の阪神戦で初めて行った際には感動したね。「博元が甲子園に立つ姿を見たい」って、おふくろ(友美子さん=83歳)も駆け付けてくれた。土を袋に詰め込んで帰ったのを覚えている。

 それだけに、92年5月に中尾孝義さんとのトレードで巨人移籍が決まったときには、甲子園での伝統の阪神戦が楽しみだった。5月29日からの3連戦が最初の機会。でも、そこで甲子園の厳しさを知る強烈な体験をした。

 第1戦の試合前。外野でトレーニングをしていたら、一塁側の1万人くらいの阪神ファンから突然「大久保」コールが起きた。戸惑っていたら、原(辰徳)さんが笑って「手を挙げたら?」って。大先輩のアドバイスだから、その通りしたらコールは一転、やじの嵐。「調子に乗るな、このブタ!!」とか。挑発にも1万人対1人じゃ勝てないから我慢したよ。

 その翌日もバックスクリーン前で腹筋していると、また「調子乗んな、ブタ!」の声。激高して「なんだと、この野郎!!」とやり返してやじの主とフェンス越しに向かい合った。コーチが慌てて飛んできて、すぐベンチに引き戻されたよ。

 次の日から外野での練習は禁止。外野の選手を見て、三塁側ベンチ前でまねして跳んだり走ったり。自分でも間抜けな姿だと思ったよ。それは、そのシーズンずっと続いたね。

 でも、30年近くたった今、あれ以上の経験はなかったと思う。1万人対1人を体験したら怖いものはない。そのシーズンの成績(打率・277、15本塁打、43打点)にもつながったし、94年の日本シリーズ(西武に4勝2敗で日本一)でも緊張せず、第4戦で九回2死から代打同点本塁打を打つことができた。

 一回に阪神にヒットが1本出ただけで球場全体が一打サヨナラの場面のようになる甲子園独特の高揚感。今では懐かしさすら感じるね。(本紙専属評論家)

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