2月11日に急逝した野村克也氏(享年84)が、サンケイスポーツ専属評論家として本紙に残した金言の数々をお届けする新連載、『よみがえるノムラの金言』。第1回は「楽して得られる快感なし」。新型コロナウイルスの影響で、プロ野球開幕も白紙となった今、ノムさんならではの深い言葉を、重厚な野球理論ともども、改めて噛み締めてください。(構成・内井義隆)
誰だって、楽をしたい。苦労せずに、いい思いをしたい。
ノムさんはそうした人間の業を、『ノムラの考え』でバッテリーの心理に置き換え、諭した。
「楽をして得られる快感など、どこの世界にもない」
2013年5月28日の巨人-ソフトバンク戦(東京ドーム)。評論のテーマは、巨人・阿部慎之助捕手と杉内俊哉投手のバッテリーが、ソフトバンク・吉村裕基外野手に対した場面だ。
巨人が0-2とリードされて迎えた七回2死一、二塁。左腕・杉内vs右打者・吉村。初球、阿部は外角へ構え、スライダーを要求。これが真ん中に入り、試合を決定づける右越え3ランとなった。
「快感球。私はいわゆる外スラを、こう名付けている」。現役時代、名捕手と呼ばれたノムさんはまず、右打者の外角への左投手のスライダー、もしくは、左打者の外角への右投手のスライダーを、「快感球」という造語で表現した。
「この球が決まると、捕手は快感に酔う。ボールだと思い込んだ打者がアッと言って見逃す。裏をかいた喜びに浸れる。同時に、高度な技術が要求され、危険と隣り合わせの球でもある」
理由は-。
〔1〕外角から曲げるスライダーの練習量は、投球の組み立ての原点となる外角直球や、打者から逃げていく変化球などと比べ、少ない。つまり、練習で投げ込み、苦しい思いをして体得した球とは、言い難い。
〔2〕この球は、打者という目標物がなく、がらんどうの空間へ投げる感覚になるため、コントロールをつけにくい。
〔3〕直球やフォークボールなど、全身を使って投げる球と比べ、力を抜きがちになる。
「従って、使いどころを誤ってはいけない。吉村の打席のように、初球からでは、危険度は極めて高くなる」と、投手の本能と打者の技術的な観点を交え、次のようにたたみかけた。
「初球はストライクを取りたい、というのが投手の本能。外角に要求しても、甘く入る危険性を考えねばならない」
「そして甘くなると、打者には絶好球。外から中へ入るスライダーは、外へ抜かれる球や落ちる球とは違い、打撃フォームを崩されることがなく、腕の操作とバット・コントロールで、無意識にうちに対応できる」
要するに、ボールになっても余裕がある、追い込んだカウント以外では、気安く使ってはいけない、というわけだ。
こうした指摘は何も、阿部だけに向けられたものではない。
「他にも、快感球を多用する捕手が増えている。メジャーリーグで流行していることが、理由の一つであろう」
のちにメジャーで「バックドア」と名付けられたこの球は、2年後の15年にヤンキースから広島に復帰した黒田博樹投手によって、日本で話題になった。ノムさんは、安易にメジャーのマネをしたがる風潮についても、早い段階で警鐘を鳴らしていたことになる。
その上で、あの金言が飛び出した。
「楽をして得られる快感など、どこの世界にもない。快感には過程があり、リスクもつきまとうことを、忘れてはならない」
新型コロナウイルスの感染拡大で、個人の生活態度が問われる今、考えさせられる言葉でもある。