2020.2.15 10:00

【ノムラIDの神髄】小早川毅彦氏、私を変えてくれた「勇気を持て」という言葉

【ノムラIDの神髄】

小早川毅彦氏、私を変えてくれた「勇気を持て」という言葉

小早川氏(右)は評論活動で阪神監督時代の野村さんを訪ねた =2001年2月24日撮影

小早川氏(右)は評論活動で阪神監督時代の野村さんを訪ねた =2001年2月24日撮影【拡大】

 連載の第3回は、1997年に広島からヤクルトへ移籍し、野村克也監督が退任する99年までプレーして引退した小早川毅彦氏(58)=サンケイスポーツ専属評論家。3打席連続本塁打で「野村再生工場」を体現した97年の開幕戦の裏側を、2回に分けて明かす。

 移籍1年目。野村監督の「勇気を持て」という言葉が、私を変えてくれた。どんな勇気なのか。「開き直る勇気」だ。

 私の打撃スタイルは、真っすぐを待つタイミングで初球から打ちにいく“超攻撃型”。大阪・PL学園高時代から、法大でも広島でも、そうやってきた。プロで何年もたつと、相手はさすがに初球から真っすぐでは勝負してこなくなった。

 力と力の勝負では、絶対に負けたくなかった。相手が裏をかくこともある。真っすぐがくる可能性がたとえ1%でも、きたときに打ち損じると悔いが残る。だからスタイルを変えられなかった。

 野村監督が見抜いていないわけがない。ミーティングで全員に「勇気」と説くこともあったし、私に直接、「勇気を持つというのは、根拠をしっかり持って状況に臨むこと。そうすれば迷いがなくなる」と説明された。データを押し付けるのではなく、話す相手や言葉を選ばれていた。

 絶対に落とせない大一番や、試合の中で勝敗を分ける大事な場面で開き直ればいいのだ。広島時代はコーチから「なぜ真っすぐばかりを待っているんだ?」と責められたこともある。それでも自分のスタイルを貫いてきた私には「勇気」という言葉がしっくりきて、背中を押してもらえた。

 ヤクルトで最初の公式戦となる1997年4月4日の開幕戦(対巨人、東京ドーム)で、3打席連続本塁打を放った。どうやって結果に結び付いたのか、16日の第4回で説明したい。 (特別取材班)