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ノムさん、さようなら…ヤクルトユニホームで天国へ

ノムさん、さようなら…ヤクルトユニホームで天国へ

特集:
さようなら 野村克也さん追悼
野球界に多大な功績を残した野村さんが天に召された 

野球界に多大な功績を残した野村さんが天に召された 【拡大】

 月見草よ、永遠に-。プロ野球の南海(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王を獲得するなどいずれも歴代2位の通算2901安打、657本塁打を放ち、監督としても歴代5位の通算1565勝を挙げたサンケイスポーツ専属野球評論家の野村克也(のむら・かつや)さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳。葬儀・告別式は家族のみで執り行い、後日、お別れの会を開く。ノムさんは監督として4度のリーグ優勝、3度の日本一に導いたヤクルトのユニホームに身を包み、天国へ旅立つ。

 十六夜(いざよい)の月が西の空に沈む前。夜に咲き、朝に散る本物の月見草のように、自らをその花にたとえた野村さんが、84年の人生に幕を下ろした。

 11日午前2時ごろ、入浴中に倒れた。東京都内の病院に救急搬送されたが、既に手の施しようはなかったという。午前3時半、死去。死因は虚血性心不全で、くしくも2017年12月8日に85歳で亡くなった妻、沙知代さんと同じだった。

 14年秋から15年春にかけ、2度にわたり解離性大動脈瘤(りゅう)の手術を受けた。昨年からは車いすを使うことも多くなり、7月に行われたヤクルトのレジェンドマッチでも足元はおぼつかなかった。それでも「首から上が元気なら野球評論はできる」と、球場に足を運び、テレビ出演、著書執筆と多忙な日々を送っていた。

 この日午後、野村さんの亡きがらは東京・世田谷区の自宅に戻った。唯一の趣味である、野球やサスペンスドラマのテレビ鑑賞を楽しんでいた居間に横たわった。息子の克則氏(46)=楽天作戦コーチ=ら遺族の手で、ヤクルトのユニホームに着替え、床についた。

 監督として1990年から9年間指揮を執り、古田敦也、高津臣吾、飯田哲也、宮本慎也、土橋勝征らを育て、4度のリーグ優勝、3度の日本一へと導いた。現役時代に縁もゆかりもなかったセ・リーグ球団に招かれ、「ヤクルトを抜きに、野村克也の野球人生は語れない。神宮球場に足を向けて寝られない」と、ことあるごとに語っていた。そのスワローズのユニホームだった。

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