2020.1.27 05:00

【記者とっておきの話】ヤクルト・高津監督の原点は「しんどかった」亜大時代

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ヤクルト・高津監督の原点は「しんどかった」亜大時代

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亜大時代のヤクルト・高津臣吾監督

亜大時代のヤクルト・高津臣吾監督【拡大】

 「僕の野球人生は、まさかの連続だった」。そう振り返るヤクルト・高津新監督(51)の原点には、亜大時代に培われた忍耐力がある。

 亜大では当初、同学年の佃守氏(NTT信越)、小池秀郎氏(元近鉄など)、川尻哲郎氏(元阪神など)に次ぐ4番手投手だったという。2学年先輩の亜大・生田勉監督は「2年生の時には打撃投手で毎日5、600球投げていた。その後、ブルペンに行って300球。一度もけがをせず、丈夫で努力を重ねた選手だった」と振り返る。

 1月11日に行われた亜大野球部OB会による監督就任パーティーには、同期など約200人が集まった。寮でルームメートだったという同期生は「現役を辞めて飲んだときに『(将来は)監督になりたい』と漏らしていた」というエピソードで会場を沸かせた。

 高津監督にとって、大学時代はどんな原点だったのか。そう質問すると少し間を置いてから、「一言では言えないぐらい、いろんなものが詰まっている。やっぱり、しんどかったのが最初に出る。グラウンドだけじゃなく、寮生活も大変だったので野球技術はもちろん、人間としても成長できた4年間だった」と回想してくれた。精神力を武器に日本、米国、韓国、台湾で活躍した指揮官が今季、どんな采配を振るかに注目していきたい。

長崎 右(ながさき・ゆう)

 2005年入社。08年からヤクルト担当。14年から巨人担当となり、18年からヤクルト担当に復帰した。現在38歳だが、老けた外見のため、年齢を間違われることが多い。