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田淵氏が殿堂入り「仙ちゃん、俺ももらったよ」 形見のコートに身を包み通知式へ

田淵氏が殿堂入り「仙ちゃん、俺ももらったよ」 形見のコートに身を包み通知式へ

2003年春季キャンプの練習試合でテレビ中継に出演する(左から)田淵氏、山本氏、星野氏

2003年春季キャンプの練習試合でテレビ中継に出演する(左から)田淵氏、山本氏、星野氏【拡大】

 「成績はたいした数字じゃないですが、大きな山である王さん、長嶋さんと勝負できたという気持ちが、こういう賞をいただいたと思います」

 ONの前で本塁打を打つことが最高の喜びだった。1975年には王貞治の14年連続本塁打王を阻む43発で戴冠。阪神で現役時代に優勝することはできなかったが、2003年にコーチとして、星野仙一監督の下で、夢をかなえた。

 01年12月に闘将から入閣要請を受けたときの心境を「一蓮托生。死なばもろとも。即断即決」と振り返る。「(そこから)星野という男の中身を、すべて知り尽くした付き合いができたと思う」。阪神、08年北京五輪日本代表、楽天。これまでより深く、濃い付き合いをしてきたからこそ、無念の思いは消えることはない。今でも夢に見る。「キャッチボールしようや」。そんな声が聞こえてくるという。

 「もうちょっと一緒に、やりたかった」

 出会いに恵まれた野球人生だ。法政一高、法大で監督だった松永怜一氏に始まり、阪神では後藤次男氏、西武では広岡達朗氏ら多くの指導者に導かれた。バッテリーを組んだ江夏豊氏、ONら強力なライバル。すべてが成長の糧となった。そして、親友の存在-。

 「生きている間、今後のプロ野球に微力ながら尽くして、経験したことを伝えていきたい。恩返しをしていかないと」

 三回忌を迎えたばかりの星野氏の思いを受け継ぎ、記録にも記憶にも残るスラッガーは野球界にその身を捧げていく。 (堀啓介)

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  • 田淵幸一の年度別打撃成績
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