2019.12.4 12:00

【G戦士の素顔(25)】“地元愛”にあふれる育成右腕・山上、太田市から全国のスター目指す

【G戦士の素顔(25)】

“地元愛”にあふれる育成右腕・山上、太田市から全国のスター目指す

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キャッチボールを行う山上=ジャイアンツ球場

キャッチボールを行う山上=ジャイアンツ球場【拡大】

 誰にでも故郷は存在するだろう。プロ野球選手ともなれば、活躍すると地元のスターとして迎えられる。そんな日を夢見て汗を流している若手投手がいる。育成2年目を終えた巨人・山上信吾投手(20)だ。

 山上の故郷は群馬県太田市。幼馴染の兄が野球をやっていた影響で、小学校入学直後から野球を始めた。ボールを握って間もない頃、ある地元出身の選手の大活躍ぶりが目に飛び込んでくる。日本を代表するスターとなった斎藤佑樹(現日本ハム)だった。

 2006年夏の甲子園。太田市出身の斎藤は、西東京代表・早実高のエースとして同校を初の夏制覇に導いた。ポケットからハンカチを取り出して汗を拭く姿から「ハンカチ王子」と呼ばれ一躍時の人となった。

 山上が所属していた「綿打リトルフレンズ」と、斎藤が所属していた「生品リトルチャンピオンズ」は同じ市内でよく戦っていたライバルチームだった。「交流がすごくあって。町でくくったら同じ町だったので、試合をよくしていたんですよ。『斎藤佑樹が相手チームにいたんだぞ』って監督が言っていました。僕らの代は僕らのほうが強かったですよ」と振り返る。

 さらに、その年はチームの練習も“斎藤シフト”が敷かれたという。「試合を見たいから、練習は本当は午後からなんですけど、試合を見てから集合していましたね」。つまりは、本来なら午前中から行う練習を、地元のスターが昼頃登板する日は各自試合を見てから集合し、夕方ごろから練習していたというのだ。夏場は日が長いため、午後7時頃に練習が終わる日もあった。

 「格好いいというのもあるんですけど、ほえるわけではないけど、気迫が見えるというか。気合が入っているなと思った記憶はあります」と山上。内なる闘志を秘めながらマウンドで躍動していた地元のスターを見て、子供ながらに憧れを抱いた。

 中学(綿打中)は軟式野球部に所属し、高校は太田市内にある常盤高に進学。入学当初は河津章監督の指導方針もあり、野手に専念しており「『肩は強くて、ステップだといいボールが投げられるのに、ピッチャーになったときにタイミングがあっていない。上と下のバランスが合っていない』といわれて。ステップを踏んで投げることを体にしみこませるために、野手をやらせていたみたいです」と明かす。

 監督の指導方針もあり、入学当初125キロ程度だった直球は、2年春には140キロに。2年夏には群馬県大会初戦で前橋育英高に敗れるも、144キロを計測し、同年秋にはエースナンバーを背負うまでになった。

 太田市に生まれ、太田市に育てられ、太田市からプロ入りした山上。実は日本ハム・斎藤だけでなく、侍ジャパンに選ばれ、今年11月の「プレミア12」で初制覇に貢献したソフトバンク・周東も同市出身だ。

 「地元の野球の活性化じゃないですけど、野球人口が減ってきているので、自分を見て野球をやりたいと思ってくれる人が増えればいいなと。そういう選手になりたいです」と山上。グラブに県のマスコットキャラクター「ぐんまちゃん」を刺しゅうするなど、地元愛にあふれる右腕がスターを目指し、来季こそ支配下登録を勝ち取る。(赤尾裕希)

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