2019.11.13 12:00

【G戦士の素顔(24)】育成2年目・笠井、挫折続きの野球人生…目指す1軍生活

【G戦士の素顔(24)】

育成2年目・笠井、挫折続きの野球人生…目指す1軍生活

特集:
G戦士の素顔
ガッツポーズを決める笠井。来季の1軍出場を目指す=ジャイアンツ球場

ガッツポーズを決める笠井。来季の1軍出場を目指す=ジャイアンツ球場【拡大】

 どんな業界にも「名門」は存在するだろう。育成2年目の笠井駿外野手(24)は、中・高・大とそんな道を歩んできた。

 中学時代は、全国大会で何度も優勝に輝いている武蔵府中シニアでプレー。高校は、今秋の東京都大会で2連覇を達成し、来春の選抜大会出場を確実にさせるなど、春夏10度の甲子園出場を誇る国士舘高に進んだ。そして大学は、リーグ戦69度、全日本選手権3度の優勝を誇り、斎藤隆(元米大リーグ、ドジャース)や佐々木主浩(元米大リーグ、マリナーズなど)、金本知憲(元阪神監督)、矢野燿大(現阪神監督)ら数多くのプロ野球選手を輩出している東北福祉大でプロへの道を切り開いた。

 だが、笠井は言う。「挫折は、めっちゃありますよ」。エリート街道を歩んできたように見えるが、プロ入りするまで、多くの壁にぶち当たってきた。特に思い出される出来事が、2つある。一つ目は、高2の秋だ。

 1個上の学年は結束力が強く、夏の東東京大会決勝まで進出。惜しくも成立学園高に敗れ、聖地への切符はつかめなかったが、笠井は2年生で唯一試合に出場した。だが、その夏が終わったあとだった。

 「練習態度とか試合態度ですね。自分が試合でダッシュしなかったんですよ。1個上で試合に出たりして『できるだろう』と感じてしまっていたんだと思います」

 秋季東京大会の予選。登録メンバーには、背番号8のところに「笠井駿」の名前があった。だが、当時の箕野監督から背番号を渡されるとき、背番号8だけ呼ばれず、もちろん背番号も渡されなかった。屈辱だった。本選からはベンチ入りを許されたが、笠井は心に誓った。

 「誰よりも野球をやってやろう」

 自主練習は毎日午後10時まで許されていたが、後輩を連れてバットを振り続けた。辺りは真っ暗になってもロングティーをやめない。「ほぼ毎日、後輩とぼくと二人で帰っていました」と振り返るほど。そんな日々を振り返り「箕野監督のムチでしたね。今でもその経験は生きていると思います」と口にする。

 そして、もう一つの転機となったのが東北福祉大の4年時。全日本大学選手権に出場したときだった。リーグ戦で目立った活躍をできず、後輩にスタメンを奪われたのだ。高校時代の挫折から真剣に野球に取り組み、着実に力をつけてきたが、大舞台でまさかのスタメン落ちとなった。

 「監督に絶対聞いちゃいけないと思うんですけど、『なんで僕をつかってくれないんですか?』って聞くぐらいショックだったんですよ」

 “あの日”から、野球に取り組む姿勢は変わった。だが、突きつめすぎて結果だけにとらわれていたのだ。「結果に苦しめられていたんですよ。高校のことがあって、野球ばかりしていて。でも、考えすぎていても結果がでないなと思った。周り見えないようになっていたので、そこからいまのプレースタイルというか。楽しんでやろうと思いました」と笠井。気持ちの持ち方に変化が表れた瞬間だった。

 来年は3年目。「支配下登録を目指していたらだめだと思うので。1軍で必要とされれば、支配下登録される。1軍で必要とされたいですね」と意気込む。挫折だらけの野球人生を肥やしに、プロで花を咲かせる。(赤尾裕希)