2019.11.10 05:00(1/2ページ)

【虎のソナタ】みんなが持つPLの思い出名シーン

【虎のソナタ】

みんなが持つPLの思い出名シーン

特集:
虎のソナタ
甲子園に「PL学園・桑田」が帰ってきた

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 阪神秋季C(9日、安芸タイガース球場)甲子園にPL学園が帰ってきた! 桑田真澄が帰ってきた! 「PL」の人文字がよみがえった! という一日でありました。

 OBたちの夢舞台「マスターズ甲子園」がここまで注目を集めるのもPL学園が高校野球界で超一流のブランドだから。野球が大好きな私たち、全員に「思い出のPL」がある。目を閉じて、思い出してくださいな。

 桑田氏が希望して「1番」を背負ったようだが、個人的には甲子園デビューの1983年夏。背番号は「11」なんですよね。夏春夏3連覇目前のあの無敵の池田高(徳島)から1年生が本塁打を放ち、完封してしまった。おそるべき15歳の記憶は、衝撃的すぎ。

 初優勝時(78年夏)、準備に準備を重ねた「WE ARE NO・1」の人文字が奇跡の逆転サヨナラ勝ちで学生が感激、興奮。うまくできなかった…なんて光景もありました。

 さあ、虎番たちよ、お前たちのPLは、いつ?…と意気込んで聞いたら、悲しいかな、PLの名前も、今は昔になりにけり-。

 「昔、強かったのは知ってるんです。桑田さん、清原さんがいて。最近ではマエケン。でも、僕らの頃は不祥事が起きたり、廃部が検討されたりで…」

 キャンプ地・安芸にいる若手虎番コンビ、織原祥平&菊地峻太朗は戸惑いの表情を浮かべた。聞けば、菊地は94年、織原は95年の生まれ。彼らの記憶では“残念なPL”がクローズアップされてしまうらしい。

 「だからこそ、われわれがもう一度頑張って…」

 ことし1月の野球部OB総会で桑田会長は悪いイメージの払拭も誓っていた。そこからスタートした甲子園復活ストーリー。いくらメンバーが強力でも、甲子園まで来たのはさすが、というしかない。

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