2019.7.10 12:00

【G戦士の素顔(9)】育成2年目・小山「控え」「就活」「退部」…紆余曲折でたどり着いたプロの世界

【G戦士の素顔(9)】

育成2年目・小山「控え」「就活」「退部」…紆余曲折でたどり着いたプロの世界

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G戦士の素顔
川崎市のジャイアンツ球場でキャッチボールをする育成の小山

川崎市のジャイアンツ球場でキャッチボールをする育成の小山【拡大】

 伝統球団のユニホームに袖を通して、2年目となった。育成の小山翔平捕手(23)は、日々成長するために必死に汗を流している。

 各校のエースや4番打者、大学のタイトルホルダーや華々しい受賞歴のある選手など、多くの猛者たちが集まるプロ野球界。そんな中で、小山の歩んできた野球人生は、決してエリート街道ではない。

 京都・東山高校から関大に進学。野球部に所属したが、同学年に強豪校からスポーツ推薦で入学してきた捕手がおり、いくら結果を出しても試合に出場することはかなわなかったという。つまり、大学時代は俗に言う「控え」や「補欠」と呼ばれる選手だった。

 「控えですけど、控えにも入っていなかったです。『これだけその子より結果出してるのに、出してもらえないな』と思って。そこで続けれればよかったんですけど…。そこからあんまり練習も行かなくなって。これに関しては自分が悪かったんですけど」

 少しずつ部活にも顔を出さなくなった。2年時からはガソリンスタンドでのアルバイトも始め、週4で勤務。グラウンドの土ではなく、オイルで汚れる方が多かった。そして、唯一ベンチ入りした3年春のリーグ戦後、野球を諦める-。小山はそう決断した。

 ユニホームからリクルートスーツに着替え、3年秋からは積極的に合同説明会などに参加。ごく普通の“就活生”となっていた。某一流企業2社から内定をもらうなど、就職活動は順調に思われた。だが、ネクタイを締め、真っ白なワイシャツを着て、ビジネスバッグを持つと、一度断ったはずの野球への思いが、こみ上げてきた。

 「なんていうんですかね。『ほんまにやりたいことなんやろ?』とその時期に考えていて。『野球は楽しいな』とずっと思っていたので、やりたいことは『野球じゃないかな』と思って」

 4年になり、内定を辞退。再び、野球の道を進むと決めた。だが、約1年間、まともに野球をしてこなかった。練習に行くのは、同級生のために打撃投手を務める日ぐらいで、部に所属しながら応援に行かない日もあったという。就活をしていたため、社会人野球などに行く当てもない。そんな時、同学年で試合に出続けていた捕手が社会人野球に進むこと耳にして、覚悟が決まった。

 「『その子より、上のところに行ったろう』って思いました。ただ単純に。それならプロのテストを受けて、プロ受かって。自分の中で『勝ったぞというか、負けてなかったぞ』と思いたくて」

 リーグ戦の出場は1試合のみで、スカウトにも見られていない選手がプロ志望届を出しても、厳しい現実が待っている。直接自身を売り込むため、プロの入団テストを受けることを決めた。そして、8月末に野球部を退部。母校・東山高校のグラウンドを借りるなどして、キャッチボールや遠投などを行った。約2、3週間だったが、少しでもブランクを取り戻そうと汗を流し、来たる日に備えた。

 そして、9月。巨人の入団テストを受け、なんと合格。あとは、ドラフト会議の日を待つのみだった。だが、ドラフト当日。「(プロに)いけるとは思っていなかった」との言葉通り、小山は普通に大学に行っていた。ドラフト会議が始まっていたが、友人とディナーを楽しみ、ほとんど見ていなかった。そして、午後8時半頃帰宅。最終盤だったドラフト会議の中継に偶然目をやると、「巨人 小山翔平」という文字が目に飛び込んできた。

 育成6位での指名。「ビックリしましたね」と目を疑った。制服を着てその瞬間を待ち、無数のフラッシュを浴びてガッツポーズをするのがドラフト当日のよく見る光景だ。だが、小山の場合は自宅で1人。祝ってくれたのは、本人と同じくその情報を疑い、「これお前?」と連絡してきた友人数人だった。

 あれから、もうすぐで2年。現在は支配下登録に向けて汗を流している。「一番上で活躍したいと思って(プロの世界に)入ってきているので、そこは(軸を)ぶらしては、いけないところ」。ユニホームを着る喜びをかみしめながら、地道に前に進む。(赤尾裕希)

  • 川崎市のジャイアンツ球場で練習する育成の小山
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