2019.6.26 12:00

【G戦士の素顔(7)】トミー・ジョン手術からの復帰目指す育成・与那原、大きな決断と心の支えとなった存在

【G戦士の素顔(7)】

トミー・ジョン手術からの復帰目指す育成・与那原、大きな決断と心の支えとなった存在

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G戦士の素顔
川崎市のジャイアンツ球場で練習する与那原

川崎市のジャイアンツ球場で練習する与那原【拡大】

 あの決断から、もう1年がたった-。育成の与那原大剛(ひろたか)投手(21)はジャイアンツ球場で腕を振り、しっかりと球を投げている。

 2016年に、沖縄・普天間高からドラフト3位で入団。189センチという高身長から投げ込む最速140キロ台後半の直球が魅力の右腕として、将来を期待された。だが、プロ2年目の17年9月末。盛岡で行われた3軍戦に先発し、右肘に痛みを覚えた。

 「最初は張っている感じだったんですよ。前腕のところが『張ってるなー』と思って。フェニックス(リーグに)行くことになって、荷出しもしたんですが、ずっと痛い感じなんですよ」

 病院に行くと、「内惻側副靱帯の損傷」と診断され、手術の必要性はないと言われた。状態を見ながら「保存療法」で進めていくことを決めたが、オフシーズンにブルペン入りすると再び痛みを発症。年末年始に帰省した沖縄でも球を投げることはできず、帰京後に再検査を受けると、悪化しており「手術が必要かもしれない」と言われたという。

 「小、中、高で一回も肩、肘を痛めたことはないんです」という与那原にとって、「手術」という言葉には抵抗があった。だから、最初は米大リーグ、エンゼルスの大谷らも行った「PRP療法」を取り入れることを決意。自身の血液内の血小板再注入して治癒力を高める治療法で、春季キャンプ前に行ったが、それもまた“失敗”に終わる。

 「ある程度のところまでは投げられるんですよ。でも、キャッチャーが座って投げ始めたら、10球ぐらいで肘がだるくなるんですよ。腕が振れなくなるんです」

 そこで、決断した「手術」という選択。「不安はありました。肘にメスを入れるって大変なことなので。でも、迷いはなかったですね。それまで保存でもやって、PRPもやって、それでも駄目だから手術しかないなと。そのときはすぐ決断できました」と振り返る。

 受けることになったのは靱帯(じんたい)再建手術、通称「トミー・ジョン手術」。復帰には1年以上を要すとされている。同手術を受けた元巨人の投手で、現在は球団の編成担当である野間口貴彦氏からは『自分の思うようにいくことはまずない。順調にいくことは絶対にない』と言われたという。

 昨年6月。ついに、右肘にメスを入れた。約2間半の手術。軟骨に穴を開けて修復する手術も受け、目が覚めたとき、わずかに麻酔が効いていたが右肘には強烈な痛みがあったという。

 「次の日が一番痛かったです。寝られないんです。手術を受けた日の夜は寝られたんですけど。肘に激痛が走るんですよ。激痛が走ったらずっと痛いんですよ。一瞬でよくならないんです」

 ベッドではなるべく痛みが出ないように、ベストなポジションを探して横になったが、1ミリでも動こうものなら激痛が走る。右手を使えないため、食事はおにぎりにしてもらい、箸ではなくフォークやスプーンを借りた。痛み止めを打っても、治らない激痛。それが三日三晩続いた。

 退院後のリハビリも、決して楽ではなかった。肘を動かすことから始めたが、「今日できるのに、明日になったらできないというのが一番きついです」と一進一退の日々。野間口氏から言われたように、何度も壁にぶち当たった。「(リハビリの)最初のほうは全くモチベーションなかったですね」と振り返るが、そんなとき支えとなったのが、戦友と同期の存在だった。

 自身より1年早く同手術を受けたヤクルトの育成・ジュリアスとは、沖縄の同じ中学出身の同級生で、プロ入り後もともに高め合ってきた。術後には、たびたび電話をくれ「現状を言って、いろいろアドバイスくれます。『靱帯再建は焦ったら駄目だから』って。結構(存在は)でかいですね。モチベーションにはなっていますね」と心の支えとなった。

 そして、16年入団の同期の活躍も与那原の心を動かした。同年のドラ1右腕・桜井は交流戦で活躍。2位の重信や5位の山本、育成1位だった増田は1軍に定着。同7位の中川はいまや抑えを任されており、「戦力になっているじゃないですか。そういうのみたら、結構刺激になります」と口にする。

 今年からは育成選手として再出発した。来年はドラフトで大卒の同学年が入団してくる。「負けたくないですね」と与那原。大きな決断から1年。復帰へ向けて、焦らず、一歩ずつ前に進む。(赤尾裕希)

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