2019.6.14 13:00

【球界ここだけの話(1649)】覚醒の4年目を迎えた巨人・桜井、悔しい日々も焦らず歩いた「沈黙の3年間」

【球界ここだけの話(1649)】

覚醒の4年目を迎えた巨人・桜井、悔しい日々も焦らず歩いた「沈黙の3年間」

特集:
サンスポ記者の球界ここだけの話
巨人・桜井俊貴

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 4年目の覚醒か-。巨人・桜井俊貴投手(25)の躍進が著しい。13日には、日本生命セ・パ交流戦の西武戦(メットライフ)に先発。7回1失点で先発2勝目を挙げた。

 「沈黙の3年間」とでも言うべきか。2016年のドラフト1位で立命大から入団。即戦力の期待をかけられた右腕だった。だが、「巨人のドラ1」という重圧を体は感じていたのかもしれない。1位指名を受けた15年10月22日のドラフト会議。その翌日から、謎の症状に襲われた。

 朝、目が覚めると、大汗をかいているのだ。決して寝られていないわけではなかったが、洋服は滝に打たれたかのように全身びしょぬれ。それが数日間続いた。「寝られましたし、体は何ともなかったんですけど」と振り返るが、見えない“何か”に襲われていたのだ。

 そんなこともあったが、プロ1年目の16年は開幕1軍入りを果たすなど、順調にいくかと思われた。だが、3月30日のDeNA戦(横浜)で右肘痛を発症。「そこからの道のりが長いです」と、腫れ上がった右腕を治すリハビリ生活が始まった。

 最初はキャッチボールもできず、ただ歩いたり、走ったりするのみ。やっと球を投げられるようになっても再び痛みがぶり返し、中断。一進一退の日々に「何してるんだろうって感じです。野球をするためにプロの世界に入ったのに、なんでボールを投げていないんだろうって。つまらない毎日。目標がなかったです」とどこに向かうべきか、自信を見失うこともあった。

 やっと右肘が完治したのは、シーズン終盤。だが、1軍の復帰登板はなく1年目を終えた。2年目は先発ではなく、リリーフに挑戦。背番号が「21」から「36」となって再出発の年だった。それでも、19試合に登板し、0勝1敗、防御率5・67。決して納得のいく数字ではなかった。

 3年目の昨年は、1軍登板なし。リリーフでスタートしたが、シーズン途中に先発に転向。育成の選手に混ざりながら、3軍戦のマウンドに上がる日々も経験した。

 そして、迎えた勝負の4年目。5月23日に右肘痛を発症したときと同じ相手、DeNA戦(東京ドーム)で救援ながらプロ初勝利。6月6日の楽天戦(楽天生命パーク)では1163日ぶりの先発で勝利を挙げるなど、ようやく沈黙を破った。

 桜井は振り返る。「けがをしたから駄目だったというわけではなく、けがをして知った部分もある。4年間がしんどかったわけでもないです。しんどいですけど、しんどい中でもたくさんいいことはあった。そんな苦労した感じはないです」と。

 右肘が完治した1年目の冬。台湾で行われたウインター・リーグに参加した。術後ということもあり、投球の感覚が戻らず、腕の振りも鈍くなったが、好調時の映像をチェック。「自分の体について考えられました。それまでは感覚で投げていて、いいときはどうだったのか気づけました」とフォームを見直すなど、マイナスな状況の中でも、プラスになるよう取り組み続けた。

 同世代や後輩が、次々とプロ初勝利を挙げていく。自身に付いていたのは黒星のみ。だが、決して焦りはなかった。「そこは、別にその人のタイミング。人それぞれ。気にはせず。焦るじゃないですか? 考えたら。焦りが一番駄目ですから」と自身ができる最善、最速のペースで歩みを進めてきた。

 どこかひょうひょうと。いや、堂々と。人に流されず、黙々と野球に取り組んできた。宮本投手総合コーチは「遅咲きのヒーロー」と称した。背番号は2度変われど、己は変わらず。沈黙を破った先には何があるのか。覚醒の4年目はまだまだ続く。(赤尾裕希)