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【平成の虎から令和の虎へ】星野監督、虎党の負け犬根性も変えた

【平成の虎から令和の虎へ】

星野監督、虎党の負け犬根性も変えた

2003年9月15日。18年ぶりの優勝を決め、甲子園で宙を舞う星野監督

2003年9月15日。18年ぶりの優勝を決め、甲子園で宙を舞う星野監督【拡大】

 平成の時代に学ぶべきものはあったのか。未来の猛虎のために、あえて平成を振り返る「平成の虎から令和の虎へ」。第3回は星野仙一監督のもとで18年ぶりに優勝した2003(平成15)年など、栄光の時代を振り返る。 (上田雅昭編集委員)

 まずはクイズを。

 平成の時代に1番勝ち星が多かった監督は? 2番目は?

 最も負け数が多かった監督は? 2番目は?

 答えはこの原稿の最後に…。なんとなく想像はつくでしょうが。

 野村政権の終焉は、今では考えられないほど壮絶だった。4季目の続投は決まったが、夫人の脱税問題により、連日世間から大バッシング。2001年の秋季キャンプは指揮を執らない異常事態の末に、最終的には夫人の逮捕で引責辞任。タイガースが受けたマイナスイメージは、短期間ではぬぐい去れないのではと誰もが暗澹とした。

 そんな逆風の真っ只中に、やってきたのが星野仙一。闘将と呼ばれた男の持つ熱く前向きなイメージは、瀕死のタイガースを救った。弱小球団を揶揄する報道(特に関東方面)が一切消える。野村が「ノムさんフィーバー」で世間の目を好転させたように、いや、その何倍ものパワーで、日本中の話題をさらっていった。

 野村がヤクルトから来たように、星野も中日からブランクなしに同一リーグの監督へ。生え抜き監督に限界を感じたオーナー久万俊二郎が改革の奥の手として踏み切った「外部招へい」第2弾は、阪神の歴史上最高の「妙手」だったといっても過言ではない。

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  • 担当記者に囲まれる星野監督。マスコミとの関係も良好だった
  • 03年11月、退任した星野前監督はOB会で安藤統男OB会長に挨拶
  • 02年11月、金本の入団会見で笑顔の星野監督(右)(左は野崎球団社長)