2019.3.24 10:00

【イチロ一会(2)】用心深いイチロー、目覚ましは3つ

【イチロ一会(2)】

用心深いイチロー、目覚ましは3つ

特集:
イチロー
1999年1月31日。春季キャンプのため宮古空港に到着した(左から)イチロー、田口、仰木監督は歓迎の花束を受け取る

1999年1月31日。春季キャンプのため宮古空港に到着した(左から)イチロー、田口、仰木監督は歓迎の花束を受け取る【拡大】

 高校までが第1章。仰木監督と出会って世に出たオリックス時代が第2章。そして世界のイチローになったメジャー時代が第3章と考えるなら、私が接したのは第2章。ここでは世間が知らないイチローの意外な一面を紹介したい。

 初めて会ったのは宮古島キャンプ。先輩・田口(現オリックス打撃コーチ)に紹介されて、一緒に食事した。「鈴木と言います」と挨拶してきて「お酒飲めないんです。これしか飲めません」と牛乳を飲んでた青年だった。何年か経って、一緒に北新地のクラブに行っても、羊羹と番茶だったかな。

 ルーティンにこだわる哲学者。表現するならそんな感じ。

 すっかり有名になった神戸の牛タン屋さん。毎回、同じものを食べ、同じものを飲む。食後に行く喫茶店のコーヒーゼリーも毎回、一緒。食べないと終わらない。何回行っても一緒だった。

 目覚ましは3つかけて寝る。1つ目は壊れたら困るから。2つ目は電池がなくなったら困るから。用心深さも普通の人とは違っていた。

 ある時、練習中のイチローに話しかけられたことがある。

 「僕のバッティングのどこを見てるの?」

 突然の問いに困惑していると「やっぱりダメだね。他の人より準備が早いのが、分からない?」とニヤリ。取材するときに、あれだけドキドキさせられた選手はいない。

 いろんなことで振り回された。「(フジテレビ系列で放送された)ドラゴンボールの全話がほしい。宝物にしたい」。いくら系列(当時関西テレビ)のアナウンサーだったとはいえ大変だった。かと思えば「神田川で食事してみたい」「宝塚歌劇が見たい」。宝塚では「あのチームワークは素晴らしい」。すごく興奮していた。

 私はメジャーまで追いかけて取材することはできなかった。最後の会見にも行けなかった。でも、何度も名シーンを実況させてもらったし、素晴らしい時間を共有できた。できることならもう一度会って「あの頃、懐かしかったよな」なんて話をしてみたい。