2019.3.23 05:00

【GOOD BYE イチロー(1)】下積み2年、「振り子打法」の鈴木

【GOOD BYE イチロー(1)】

下積み2年、「振り子打法」の鈴木

特集:
イチロー
プロ4年目、1995年のイチロー。代名詞の振り子打法で安打を量産した

プロ4年目、1995年のイチロー。代名詞の振り子打法で安打を量産した【拡大】

 米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手(45)が21日に記者会見を開き、現役引退を表明した。日本で前人未到の7年連続首位打者、米国で歴代23位の通算3089安打を放った球歴を振り返る。第1回は代名詞の「振り子打法」が誕生したオリックスの下積み時代にスポットライトを当てる。 (全7回)

 イチローにも下積みの時期があった。オリックスに入団してから2年は、10代で1軍の試合に出場したものの、安打はシーズンで24、12本にとどまった。

 当時は右足を大きく振る「振り子打法」だった。この風変わりな打ち方を、土井正三監督(故人)が認めなかったといわれる。土井氏にはイチローの才能を見いだせなかった負のイメージが付きまとう。だが、当のイチローは土井氏が亡くなった際に「そうじゃないのにね」と語っている。

 愛知・愛工大名電高時代は、すらりとした体形の投手で中軸も打っていたが、投打ともそれほど注目される存在ではなかった。だが、オリックスの三輪田勝利スカウト(故人)が打撃センスと練習熱心さを高く評価。無名の高校生を球団に強く推し、ドラフト4位で1992年のオリックス入りが実現した。

 高卒1年目から光るものは披露していた。2軍で安打を量産し、ジュニア・オールスター(現フレッシュオールスターゲーム)に選出される。同点の八回に代打で登場すると、右越えに勝ち越し弾を放って最高殊勲選手に選ばれた。

 この時の登録名はまだ鈴木だった。イチローとしてブレークするのは、93年オフの仰木彬監督(故人)の就任を待たなければならない。