2018.10.18 05:01

プロ野球創成期の強打者、古川清蔵さん死去 96歳…老衰

プロ野球創成期の強打者、古川清蔵さん死去 96歳…老衰

阪急時代の古川氏(手前)の雄姿

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 戦中、戦後のプロ野球で活躍し、2度の本塁打王(1942、43年)に輝いた古川清蔵(ふるかわ・せいぞう)氏が17日午前5時15分、老衰のため宝塚市内で死去した。96歳だった。葬儀は家族のみで執り行われる。引退後は、競馬評論家としてサンケイスポーツで予想を披露するなど、コラムで健筆をふるった。

 プロ野球の創成期を駆け抜け、引退後は競馬評論家としてサンスポで活躍した古川さんが、静かに天国に旅立った。

 家族によると、亡くなる1週前まで元気だったが、2、3日前から食欲がなくなるなど、体調を崩していた。17日朝、眠るように息を引き取っていたという。

 1922(大正11)年生まれ。鹿児島商業学校(現鹿児島商高)から社会人野球の八幡製鉄を経て、41(昭和16)年にプロ野球の名古屋軍(現中日)に入団した。42年に8本塁打、43年には4本塁打を放ち、2年連続で本塁打王を獲得。太平洋戦争をはさみ、終戦後は46年に復帰。48年には阪急(現オリックス)に移籍し、50年には56盗塁を記録した。53年8月30日の南海戦で、延長戦の参考記録ながら、1試合最多タイとなる7安打をマークするなど俊足好打で球場を沸かせた。

 59年に引退。その後、義父がダービートレーナーの伊藤勝吉調教師(故人)だった縁もあり、競馬にかかわるようになって評論家に転身。JRA通算1225勝をあげた伊藤修司調教師(故人)は義弟にあたる。サンスポでは68年から予想とコラムをスタートさせて、88年7月まで21年間、健筆をふるった。

 性格は温厚。鹿児島出身で焼酎が大好きだった。毎週、栗東トレセンや競馬場に足を運んで取材。予想は調教の動きを重視し、人気薄でも動きがよかった馬には本命印を敢然と打ち、競馬ファンを喜ばせた。

古川 清蔵(ふるかわ・せいぞう)

 1922(大正11)年3月4日生まれ、鹿児島県出身。鹿児島商業学校(現鹿児島商高)-八幡製鉄から41年にプロ野球名古屋(現中日)に入団。42、43年に2年連続本塁打王。48年に阪急に移籍。50年に56盗塁を記録するなど俊足強肩強打の外野手として活躍した。59年に現役引退。通算1698試合で5715打数1419安打、打率・248、97本塁打、617打点、370盗塁。引退後は競馬評論家としてサンケイスポーツで健筆を振るった。現役時代は1メートル70、65キロ。

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