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【虎のソナタ】金本監督と星野監督、落差のメモリアル・デー

【虎のソナタ】

金本監督と星野監督、落差のメモリアル・デー

特集:
虎のソナタ
2003年9月15日、今は亡き星野監督が甲子園で宙を舞った

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 (セ・リーグ、阪神4-6ヤクルト、21回戦、ヤクルト11勝10敗、15日、甲子園)-頬を伝う結晶が浜風に乾く。母の視線を感じた。妻は写真のなかで笑っていた。孫を抱く日が待ち遠しい。そして選手も家族の一員…。

 これは15年前の2003年9月15日、阪神タイガースが18年ぶりにリーグ制覇した時の甲子園の夜空に監督星野仙一が涙ながらに舞った時のサンスポ1面の『その一瞬』原稿の一節だ。

 どう考えてもコレを書きながら当時のトラ番キャップ稲見誠(現運動部長)は号泣しながら記事を書いたと思われる…。駆け出しの中日担当時代からなぜか星野仙一にかわいがられ、やがて阪神キャップになったばかりの時、フトしたはずみに中日監督星野の肩にある種の“失意”をかぎ取る。阪神は大胆にも知将野村克也のアウトソーシング(知略の導入)を試みて3年連続最下位で地をはいずり回っていた。

 智の野村が種をまき…耕すのは星野仙一の熱血。鉄のオーナー久万俊二郎は世間をアッといわせる決断をし、星野に託した。

 それからタッタ2年で“革命”は成就する。「甲子園が死に場所…」とつぶやいた男が母の死も、妻の遺影も胸に秘めて甲子園の夜空に舞ったのがこの『9・15』だ。

 だが…“鉄の意志”を引き継いだ金本知憲はその3年目の「メモリアル・デー」の日に…志半ばにして「最下位」という現実を突きつけられたのである。

 だが…もちろんまだ“終わった”わけではない。10カウントを誰も聞いたのでもない。だがそれにしても次々と3年目の金本阪神は故障者が続出し、野戦病院のような阿鼻叫喚の様相を呈しているのも現実なのである…。

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