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【虎のソナタ】昼は高校野球で涙、夜は虎に涙

【虎のソナタ】

昼は高校野球で涙、夜は虎に涙

特集:
虎のソナタ
試合終了後、球児らの健闘をたたえるように甲子園には虹がかかった

試合終了後、球児らの健闘をたたえるように甲子園には虹がかかった【拡大】

 ♪農はこれ たぐひなき愛 日輪のたぐひなき愛…金足農の校歌は現在の地球温暖化のせいで気候不順でわれわれが「自然の逆鱗」にふれていることに見事に警鐘を鳴らしてくれている気がした。

 いまでも秋田を訪ねたときに男鹿半島の「なまはげの里」や、日本海の横なぐりの風雪をふせぐ壁と荒波の光景が忘れられない。その景色に埋没するとパ・リーグの山田久志(阪急)や落合博満(ロッテ)など少し無口で忍耐強く…何事にも“耐える”ヒーローに結びつくのだ。

 金足農の戦いはその「風雪に耐える…」という不思議な強さが常に漂っていた。

 「誰だって『甲子園に出られた…』というだけで足がふるえたもんだ」と言ったレジェンドを2人、思い出した。偶然にもその2人はそこの部分だけはまったく同じようにシンミリと言った。

 藤村富美男と川上哲治である。川上さんは筆者に「私は熊本工で昭和9年と12年に優勝戦まで進んだが、2度とも敗れた。最初は関門海峡すら渡ったことがないんだ。もうそれだけで…感激したものだ」といった。1934(昭和9)年の決勝戦は呉港中(旧制)が相手で、投手は藤村富美男。「川上さんは熊工の右翼で9番だったから楽だったなぁ…3打席3三振だもの…」と言っていた。つまり藤村さんは呉だから関門海峡を渡る必要はないわけで、むしろ彼は法政大に進むか、阪神にいくか…と考えていたわけで、それだけ川上哲治よりは“甲子園に近かった”のだ。

 それだけに熊工のライトの9番なんて、呑んでかかっていた。

 何がいいたいのか…といえば、要するに今も昔も甲子園という高校野球のメッカに地政学上の優位、不利はどうしても球児たちにノシかかるものなのだろう。

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