2018.8.12 10:00

【甲子園に恋して】原辰徳 「怪物・江川」の翌年登場「さわやか辰徳君」

【甲子園に恋して】

原辰徳 「怪物・江川」の翌年登場「さわやか辰徳君」

1974年の第56回に1年生で出場した東海大相模・原辰徳(右)。原貢監督(左)との“親子鷹”は注目を集めた

1974年の第56回に1年生で出場した東海大相模・原辰徳(右)。原貢監督(左)との“親子鷹”は注目を集めた【拡大】

 金属バットが解禁された1974年の第56回大会に、新たなスターが誕生しました。東海大相模(神奈川)の1年生三塁手、原辰徳君。「さわやか」「明るい」という表現がぴったりでした。

 前年は、「怪物」と呼ばれた作新学院(栃木)の江川卓君に注目が集まりました。江川君は「すごい」の一言で、高校生らしいイメージはありません。私が取材を通して親しくなった2人は、のちに巨人でエースと4番として活躍しましたが、性格は対照的。先輩記者に「旦那にするなら江川君、息子にするなら辰徳君ね」と言って笑われました。

 原君のお父さんは、65年の第47回大会で三池工(福岡)を率い、初出場優勝した貢さん。開校して間もない東海大相模の監督に就任すると数年で強豪校に育て、74年に辰徳君が入学しました。

 “親子鷹”として話題になり、辰徳君への指導は特に厳しいものでした。辰徳君はそれに耐えて実力でレギュラーとなり、夏の甲子園は3年連続出場。センバツでは75年に準優勝しました。

 辰徳君のお母さんは甲子園のスタンドで、大きな双眼鏡を手に応援していました。あるとき、双眼鏡から目を離すと「辰徳のストッキングに血がにじんでいるわ」とつぶやきました。おそらくスライディングか何かで、傷を負ったのでしょう。細かいところまで気付くお母さんの深い愛情が、辰徳君を猛練習に耐えさせたのだと思います。

名取 和美(なとり・かずみ)

 埼玉県出身。慶大卒。1965年に産経新聞社に入社し、69年からアマチュア野球担当。87年にサンケイスポーツへ異動。計25年間にわたって甲子園大会で取材を続けた。96年に退社後も、OGとして球場に足を運ぶ。現在は野球殿堂特別表彰委員会委員、全国野球振興会理事。

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