2018.8.4 05:00(1/2ページ)

【虎のソナタ】思い出すブキさんの「ミックスジュース」

【虎のソナタ】

思い出すブキさんの「ミックスジュース」

特集:
虎のソナタ
1982年12月、契約更改交渉後の南海・穴吹監督(左)と香川伸行さん。いい笑顔です

1982年12月、契約更改交渉後の南海・穴吹監督(左)と香川伸行さん。いい笑顔です【拡大】

 「ブキさん」。親しみをこめてそう呼ばれ、みんなから慕われていた穴吹義雄さんが亡くなりました。

 ドラフト会議が施行される10年前の1955年オフ、中大で3年秋と4年春の2季連続で東都大学リーグ首位打者に輝いたスラッガーを巡って、熾烈な争奪戦が展開されています。

 「あなた買います」というタイトルで小説になり、映画化もされた札束攻勢はどれほどのものだったのだろう。興味本位でうかがったときも、ブキさんは笑顔でこう話してくれました。

 「私はね、一番安い球団に入ったんだよ」

 早くから接触していた南海が契約金650万円を提示していたところに、各球団が参戦。実はブキさんは中大3年の春、大学を訪れた南海の鶴岡一人監督から打撃指導まで受けていたそうです。「そのときのアドバイスと指導のおかげで首位打者になれた」と恩義を感じていたブキさんにとって、契約金の額は最初から問題ではなかったのだといいます。

 巨人監督の水原茂は同じ香川の高松商出身。西鉄(現西武)監督の三原脩は母校・高松高の先輩。しかし、大先輩のつてに頼るのではなく自分の力で勝負したいと考え、争奪戦が始まる前から南海入団を決意していました。それを翻意させるためだったから、各球団の攻勢は熾烈を極めたのです。

 一戸建ての家賃が1800円、JR初乗りが10円の時代に、契約金は西鉄が700万円、中日が750万円、毎日(現ロッテ)が900万円…とどんどん上がっていき、ついには1000万円を提示する球団も。4人の兄のもとにも「これで弟を説得してほしい」とスカウトが現金を手に現れていました。

【続きを読む】

  1. サンスポ
  2. 野球
  3. プロ野球
  4. 阪神
  5. 【虎のソナタ】思い出すブキさんの「ミックスジュース」