2018.7.12 10:00

【若虎へ恩師からの暑中見舞い(中)】横浜創学館高・森田監督、阪神・望月は1年秋ベンチメンバーから外しても腐らなかった

【若虎へ恩師からの暑中見舞い(中)】

横浜創学館高・森田監督、阪神・望月は1年秋ベンチメンバーから外しても腐らなかった

腰の手術を乗り越え、再び輝きを放ち始めた望月。伸びしろ十分だ

腰の手術を乗り越え、再び輝きを放ち始めた望月。伸びしろ十分だ【拡大】

 金本阪神を支える若手の恩師からのメッセージを届ける短期集中連載「若虎へ恩師からの暑中見舞い」。第2回は3年目の望月惇志投手(20)を育てた横浜創学館高の森田誠一監督(53)だ。昨秋の腰の手術から、最速158キロをマークするまで復活した右腕の素顔を明かした。 (取材構成・竹村岳)

 12日はフレッシュ球宴ですね。望月が出場すると聞いて、とても楽しみな気持ちです。

 プロ入り後は腰を悪くして、復活して、また腰を悪くして…。昨秋(腰の手術前)に電話をくれたときは「また来季、頑張ります」といいながらも、どこか沈んだ声に聞こえました。でも、手術を終えた12月に直接会ったときは元気そうな姿に変わっていました。「順調です」と話してくれて「3月ぐらいから、バリバリ投げられたら」と意気込んでいました。

 実はもともと、望月はそこまでプロ志望というわけではなかったんです。

 だから、でしょうか。1年秋。ふがいない投球から抜け出せず、私はベンチメンバーから外しました。人が良すぎる性格で、本人の中でも「メンバーには入れるだろう」という慢心もあったと思います。鼻っ柱を折られた後、どうするか。それを見守っていましたが、望月は腐りませんでした。むしろ、そこから一生懸命、練習するようになったのです。

 年を越し、2年春と夏にはベンチに入れ、その夏から球速がグンと出るようになりました。そうしたら、スカウトさんたちがどんどん集まってくれて…。そこから(本人も)プロを意識するようになった、と記憶しています。練習から、まったく手を抜くことがない姿勢は秋山(西武)に似ているな、と思いました。3年になる頃には、実力も姿勢も、すべてが備わったエースへと育ってくれました。

 当時の“薬”が今も効いているのでしょう。望月の活躍は学校全体で喜んでいます。これからは勝ち試合でも、どんどん投げさせてもらえるように成長してほしいですね。

★5回戦で敗退

 望月は横浜創学館高で2年春からベンチ入りした。2年夏は5回戦で相模原に4-6(望月は登板せず。4回戦に先発で勝利)で敗戦。2年秋からエースとなり、3年時には最速148キロをマークし、県内でも注目の存在に。3年夏は5回戦の平塚学園で完投も0-5で敗れ、甲子園出場はかなわなかった。

森田 誠一(もりた・せいいち)

 元内野手。1964(昭和39)年8月17日生まれ、53歳。横浜高で81年夏に二塁手として甲子園出場。90年に横浜創学館高に就任。監督として94年夏に初の県4強入りを果たすと、2003年秋に初めて県大会を制覇した。教え子には15年にシーズン最多安打記録(216)を打ち立てた秋山翔吾(西武)、望月惇志(阪神)ら。

  • 望月を指導した横浜創学館高・森田監督
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