2017.12.15 11:00(1/3ページ)

【二十歳のころ 土井正博(4)】自分の目で“盗んだ”技術は絶対に忘れない

【二十歳のころ 土井正博(4)】

自分の目で“盗んだ”技術は絶対に忘れない

特集:
二十歳のころ
プロ5年目、21歳のころ。7年目までは背番号「51」で、8年目から「3」をつけた

プロ5年目、21歳のころ。7年目までは背番号「51」で、8年目から「3」をつけた【拡大】

 「18歳の4番」といえば、1986年にPL学園高からドラフト1位で西武に入団した清原和博を思い出す方が多いでしょう。85年に2軍打撃コーチとして西武に復帰していた私は、2年目に初めて1軍を任されました。

 清原は私からみても、すごいバッターでした。「どないかせんといかんな」と舞い上がる一方、「自分が必死になればなるほど、清原は息苦しくなるんじゃないか」という心配がありました。救われたのは恩人の一人で、球団の管理部長だった根本陸夫さんからのアドバイスです。

 「放っておけ。今すぐ打てなくてもいいじゃないか。甲子園でやってきた連中は、必ず打てるようになる」

 スカウトも長年やってきただけに、説得力があります。私が西鉄(現西武)の稲尾和久さんや南海(現ソフトバンク)の杉浦忠さんの球に手も足も出なかったように、高校からプロ入りしたばかりの選手が阪急(現オリックス)の山田久志、ロッテの村田兆治らエース級の球を打てなくて当然です。

 「清原と当時のお前は月とスッポンだが、つぶしてしまったら意味がない。見守るのも仕事だ」。私が必死になっても、自己満足でしかありません。自分の考えを押しつけるのではなく、聞いてきたら18歳だった頃の気持ちを教えることにしました。

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