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【昭和野球列伝】阪急、身売りなければ福本引退なかった

【昭和野球列伝】

阪急、身売りなければ福本引退なかった

特集:
昭和野球列伝
移籍・退団・引退
西宮球場の外野に集まり、球団身売りの説明を受ける阪急ナイン

西宮球場の外野に集まり、球団身売りの説明を受ける阪急ナイン【拡大】

 「タイガースにいってたら、もう1、2年はやれた。そしたら安打数もキヌを超えとったのにな」

 福本と元広島の衣笠祥雄の通算安打数は2543で歴代5位タイだ。

 「やめるときは、並んだんやからええかと思うたけどね。いま考えたら、やっとけばよかったかなあとも思う」

 甲子園球場をタテジマのユニホームで疾走する福本の姿も見たかった。通算安打数の4位は門田博光(南海ほか)の2566。その差はわずか23本。単独5位だけでなく、4位の座もすぐそこにあった。 (敬称略)

阪急ブレーブス身売りの経緯

 ★88年8月下旬 三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)をメーンバンクとする企業トップの親睦会「三水会」の会合で、オリックスの宮内義彦社長が阪急の小林公平会長(ブレーブス球団オーナー)に球団経営権の譲渡を申し込み、交渉がスタート
 ★9月11日 阪急が上田利治監督の留任を発表
 ★10月14日 阪急・小林会長、オリックス・宮内社長、三和銀行の渡辺滉頭取が東京都内で会い、基本合意書を作成
 ★15日 土田善久球団社長が大阪市北区の電鉄本社に呼ばれ、球団売却を伝えられる
 ★17日 上田監督が電鉄本社に呼ばれ、球団売却が決まったことを知らされる
 ★19日 株式市場が閉まる午後3時すぎに球団経営権譲渡が発表された。西宮球場で練習していた選手たちに知らされたのは発表直前の午後2時45分だった
 ★同日午後4時 大阪市北区の新阪急ホテルで、阪急・小林オーナー、オリックス・宮内社長らが会見。同席した三和銀行の渡辺頭取は「これは球団の身売りではない。三和グループ内の組織変更」と語った
 ★同日午後6時30分 発表会見同席を拒否した上田監督が、大阪・豊中市の千里阪急ホテルで会見。監督続投は「白紙」とした
 ★26日 宮内オーナーと上田監督が、大阪市大淀区の東洋ホテルで会見。監督続投を正式発表し、南海・門田博光外野手の獲得に乗り出すことも表明した

昭和63年の世相

 【出来事】青函トンネル開通、東京ドームが完成、ソウル五輪、東北新幹線・上越新幹線開業
 【流行】カラオケボックス、ドラゴン・クエストIII、フラワーロック、リンスinシャンプー、渋カジ、「ノルウェーの森」、「ゲームの達人」
 【流行語】うるうる、お局様、おたく族、オバタリアン、キープ君、セクハラ、ママドル、ファジー、チンする
 【ヒット曲】パラダイス銀河、ガラスの十代、乾杯、MUGO・ん…色っぽい、ANGEL、人魚姫

福本 豊(ふくもと・ゆたか)

 元外野手。1947(昭和22)年11月7日生まれ、69歳。大阪市出身。大鉄高(現・阪南大高)から松下電器(現・パナソニック)を経て69年ドラフト7位で阪急に入団。70年から「1番・中堅」に定着し、同年75盗塁で盗塁王。72年には世界記録のシーズン106盗塁を記録して優勝に貢献、MVPにも選ばれた。88年に引退。通算成績は2401試合に出場、2543安打、1065盗塁、208本塁打、884打点。打率・291。盗塁王13度。MVP1度。ダイヤモンドグラブ賞12度。ベストナイン10度。引退後は、オリックスで1軍打撃コーチや2軍監督、阪神でも1軍打撃コーチや1軍外野守備・走塁コーチを務めた。

  • 阪急の球団売却を受け、会見する上田利治監督
  • 福本豊も取材に答え、心境を語った
  • 経営権譲渡の発表会見で、笑顔であいさつするオリックスの宮内義彦社長と近藤靖夫新球団社長。右は阪急の小林公平オーナーと土田善久球団社長
  • 1989年阪急ブレーブスカレンダーの表紙
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