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【昭和野球列伝】阪急、身売りなければ福本引退なかった

【昭和野球列伝】

阪急、身売りなければ福本引退なかった

特集:
昭和野球列伝
移籍・退団・引退
福本豊も取材に答え、心境を語った

福本豊も取材に答え、心境を語った【拡大】

 サンケイスポーツの編集局に28年前のカレンダーが保管されている。「1989 Braves Calendar」。オリックスの前身、阪急ブレーブスの1989年度のカレンダーだ。

 え? 89年? と思ったオールドファンもいるだろう。阪急がオリエント・リース(当時)=89年4月からオリックスに社名変更=に球団経営権を譲渡したのは88年の秋。その直前に完成し、販売されることのなかったこのカレンダーは、身売りの交渉が球団関係者にも最後まで知らされないまま、水面下で進められていた証明でもある。

 カレンダーにはもう一つ“ドラマ”が隠されている。阪急ブレーブスの歴史の終焉とともに引退した世界の盗塁王、福本豊は、球団の身売りがなければ現役生活を続けていたのだ。

 「(身売りが発表された)10月19日が、選手兼任コーチか専任コーチになるのかを伝えてくれる日やった。それが、身売りで『白紙』になった。土田(善久)球団社長は『すまん。君には一番迷惑をかけている』と言ってくれた。泣いておられたので、自分からは何も聞けんかった」

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  • 阪急の球団売却を受け、会見する上田利治監督
  • 経営権譲渡の発表会見で、笑顔であいさつするオリックスの宮内義彦社長と近藤靖夫新球団社長。右は阪急の小林公平オーナーと土田善久球団社長
  • 西宮球場の外野に集まり、球団身売りの説明を受ける阪急ナイン
  • 1989年阪急ブレーブスカレンダーの表紙
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