【球界ここだけの話(1003)】
天理の中村良二監督。31年前と同じ笑顔だった【拡大】
31年前と同じ笑顔だった。27年前とも一緒だし、20年前とも変わっていない。天理高校・中村良二監督。甲子園に“帰ってきた”かつてのプロ野球選手に、どれだけ多くの元近鉄バファローズ戦士がワクワクしていることか。
「勝利監督インタビューで、『選手を送り出したら、笑って見ているしかない』と言ってたでしょ。あいつのスタイルは変わらない。うれしくて、泣きそうになりました」
感激していたのは、中村監督と同い年で、猛牛戦士の仲間だった佐野慈紀氏(サンケイスポーツ専属評論家)。みんな同じ思いだ。
私との最初の出会いは1986年近畿高校野球春季大会。奈良・郡山球場でアーチを量産する天理の主将であり、ドラフト候補生は冗談を連発する、気さくで明るい好青年。すぐにこちらの顔を覚えて、全国制覇したその年の夏の大会期間中も話しかけてきた。「緊張してますけれど、笑うしかないでしょう」と。
4年後、近鉄バファローズ戦士と担当記者として再会。1軍に定着できない悩みを聞かされたりもした。
時がたち、近鉄から戦力外を通告された中村選手は阪神にやってきた。またまた番記者として私と接することに。不思議な縁だった。
左投げ右打ちの内野手。出場機会が一塁かDHかに限られてしまう、野球というスポーツには最も損な形だ。しかも、入団した近鉄にはブライアントを筆頭にした外国人強打者がいて、石井浩郎(現参院議員)という超えられない和製スラッガーがいた。97年、タイガースを最後にユニホームを脱いだ。