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【二十歳のころ 野村克也氏(3)】ハワイで門限破り鶴岡監督からビンタ

【二十歳のころ 野村克也氏(3)】

ハワイで門限破り鶴岡監督からビンタ

特集:
二十歳のころ
1961年ごろの野村克也の打撃フォーム。長距離打者らしからぬ、太いバットを使っていたことがうかがえる

1961年ごろの野村克也の打撃フォーム。長距離打者らしからぬ、太いバットを使っていたことがうかがえる【拡大】

 1軍メンバーに入ることを考えるので精いっぱいで、自分が長距離タイプだと考えてバットを選ぶ余裕などなかった。やがてレギュラーに定着しても、タイトルを獲得しても、バットの形を変える気にもならなかった。それでも9度の本塁打王、7度の打点王、そして65(昭和40)年には戦後初の三冠王となるのだから、不思議なものだ。

 さて、このキャンプでは、大失敗も犯した。3月中旬の帰国前夜のこと。まったく夜間外出をしていなかった私は、2歳年上の円子(まるこ)宏、同学年の戸川一郎の両投手と、戸川の親族宅に招かれ、遊んだ。「最後の夜くらい」と羽目を外したのだ。

 しばらくすると、同期の宅和本司から「早く帰ってこい。オヤジ(鶴岡一人監督)がカンカンやで!」と電話が。ホテルに戻ると、先に戻っていた先輩たちがビンタを食らっている。私たちもビンタをもらい、コンクリートの床に正座させられた。せっかく1軍に呼んでもらえたのに、最終日のたった一度の門限破りで、「もう終わりだ…」と頭を抱えた。

 帰国後、新聞を開くと、羽田空港での鶴岡監督のインタビューが掲載されていた。「ハワイキャンプは大失敗だった。唯一の収穫は、野村に使えるめどが立ったことだ」。驚きのあまり、声を上げそうになったことを覚えている。この年、私はシーズン154試合のうち129試合に出場し、打率・252、7本塁打、54打点。正捕手への足掛かりをつかむことができた。(あすに続く)

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