【昭和野球列伝】
昭和62年、PL学園高が立浪和義、野村弘樹、片岡篤史らの活躍で甲子園春夏連覇【拡大】
「じゃあ外角か?」
「だめだ。外角を打つのもうまい。ノーステップで、どのコースも同じポイントでとらえる。コンパクトに鋭く振る。軸がブレない。ボールになる外の変化球に体勢を崩すこともない」
「なんだよ。じゃあ、投げるタマがないじゃないか」
「その通りだ。君は正しい。ボブ・ホーナーに弱点なんてない」
3連戦は、キーオが話した通りの結果になった。四球と遊撃内野安打のあとの第3打席、仲田幸司の速球をとらえて右翼ポール際に2ランを流し打つと、「二塁打だと思った。神宮は狭いな」とうそぶいた。もっとすごかったのは翌6日だ。「きのうは飲み過ぎた。4時間しか寝ていない」と言いながら、池田親興から左翼へ、左中間へ、バックスクリーンへ3本塁打。2試合で6打数5安打、4本塁打。2四球、5打点。3戦目は勝負を避けられ、3四球と左飛。阪神は当然のごとく3連敗した…。
1978(昭和53)年6月にアリゾナ州立大を卒業したホーナーは、マイナーでの調整を一切経験せず、すぐにアトランタ・ブレーブスでメジャーデビュー。89試合に出場して23本塁打を放ち、新人王を獲得した。
4番打者として活躍を続け、年俸が2億7000万円になっていた9年目のオフにFA宣言。しかし、年俸高騰を抑えるため「協定」を結んでいた各球団は獲得に動かず、所属先が決まらないまま開幕を迎えた。