2016.10.25 10:00(2/4ページ)

【虎・和田SA 豊かなコラム】プロか教師か、悩んだ1週間

【虎・和田SA 豊かなコラム】

プロか教師か、悩んだ1週間

和田SA((左)、2人目は元阪神の広沢克己)は1984年にロサンゼルス五輪に参加。教員採用試験を受けられなかった

和田SA((左)、2人目は元阪神の広沢克己)は1984年にロサンゼルス五輪に参加。教員採用試験を受けられなかった【拡大】

 ドラフト会議が終わりました。今年もいろいろなドラマがありましたね。指名する側、そしてされる側と、それぞれの思いの詰まった一日になったと思います。

 私が“運命の日”を迎えたのは、1984年の秋。もう32年も前の話です。当時、ドラフト会議のテレビ中継は1位指名のみでしたので、大学(日大)の野球部寮で待機していたわたしは、スカウトの方からの電話で初めて阪神からの3位指名を知りました。

 指名をしていただけたことは、本当にうれしかったです。ただ本心として、プロでやってみたいという気持ちと、自分が本当に通用するのかどうかという気持ちと、半々でした。正直、プロに行くかどうかで迷っていたのです。

 今でこそ、プロ志望届という制度ができて、プロに行きたいという明確な意思がある選手だけが指名されますが、当時はそういうシステムはありませんでしたから。わたしも、複数の球団が興味を持ってくれているということだけは知っていましたが、とにかく実際に指名されてから、どうするか考えようという感じで当日を迎えたのです。

 そうとう悩みました。1週間は、結論を出せなかったと思います。実は教師になりたいという思いがあったからです。保健体育の先生になって、高校野球の監督になって甲子園に出たい-という夢がありました。

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  • 和田SA(左)は1984年のドラフトで阪神から3位指名され、田丸スカウト(右)の指名あいさつを受ける
  • 和田SA(右)は入団発表で同年5位の大野久(左)とガッツポーズ
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