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【私の失敗(1)】長嶋一茂、プロに入ったことで満足…目標がなかった

【私の失敗(1)】

長嶋一茂、プロに入ったことで満足…目標がなかった

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ドラフト1位で有頂天になっていた長嶋は母・亜希子さんの忠告にも耳を傾けなかった(引退後の97年に撮影)

ドラフト1位で有頂天になっていた長嶋は母・亜希子さんの忠告にも耳を傾けなかった(引退後の97年に撮影)【拡大】

 順風満帆で、プロ野球の世界を甘く見ていた部分もあった。まあ、傲慢だったのも無理はないけどね。東京六大学のベストナインに満票で選ばれ、米国に遠征した学生選抜チームでは4番打者を務めた。夢だったプロ野球にもドラフト1位で入団。少なくともスイングのスピードとパワーでは誰にも負けていない、と思い込んでいた。

 そんな俺を心配していたのがオフクロ(亜希子さん、2007年9月に享年64で死去)だった。1988年の1月、当時ユマ(米アリゾナ州)で行われた1軍の春季キャンプのメンバーに選ばれた直後、かなり厳しい口調で忠告された。

 「2軍のキャンプからスタートしなさい。自分からお願いしてでもそうさせてもらいなさい」

 当時の関根(潤三)監督は、オヤジが巨人で監督だったときのヘッドコーチ。オフクロは自分で連絡しそうな勢いだったけど、俺はまったく耳を傾けず、心の中でこう反論していた。「俺はドラフト1位だよ。なんで2軍からスタートしなきゃいけないんだよ」。

 プロ野球選手になったことは後悔していないけど、今でもオフクロの忠告通りに2軍からスタートしていたら、と考えることはある。もう少し謙虚な目で周囲を見回し、柔軟な心であの時期を過ごしていたら、違う野球人生になっていたかもしれないね。

長嶋 一茂(ながしま・かずしげ)

1966(昭和41)年1月26日生まれ、49歳。東京都出身。立教(現立教新座)高から立大を経て87年のドラフトでヤクルト1位入団。93年に巨人へ移籍し、96年に現役引退。通算成績は384試合に出場、打率.210、18本塁打、82打点。引退後はタレントに転身し、多方面で活躍中。右投げ右打ち。

(紙面から)

  • 1987年11月のヤクルト入団会見で長嶋は、父と同じ背番号3のユニホームを披露した。左は当時の関根監督、右は相馬球団社長