2016.1.19 05:02

松本氏、特別表彰で殿堂入り 戦後の野球復興に尽力

松本氏、特別表彰で殿堂入り 戦後の野球復興に尽力

山中氏(右)は法大で通算48勝。松本氏(後方左のパネル、前列左は長男・満郎氏)は戦後の野球での日米交流に大きく貢献した

山中氏(右)は法大で通算48勝。松本氏(後方左のパネル、前列左は長男・満郎氏)は戦後の野球での日米交流に大きく貢献した【拡大】

 2016年の野球殿堂入りが18日、東京・文京区の野球殿堂博物館で発表された。特別表彰は元法大投手、監督の山中正竹(68)、戦後の野球復興に尽力した故松本瀧蔵の両氏で、殿堂入りは計192人となった。

 松本氏はアマとプロ両方で戦後の野球復興に多大な貢献を果たした。長男、満郎氏(83)は「歴史の余白に埋没しているのを発掘していただいた」と感謝した。

 終戦後、英語力を生かして米軍に接収されていた甲子園、後楽園、神宮の使用を連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に働きかけた。49年にサンフランシスコ・シールズが戦後初めて米国のプロ野球チームとして来日した際には、日本側の実行委員長を務めた。

 特別表彰委員会へ松本氏の推薦状を提出した駿台倶楽部(明大OB会)の土井淳会長(82)=元大洋捕手=は「ようやく業績が認められて喜ばしい」と語った。

松本 瀧蔵(まつもと・たきぞう)

1901(明治34)年3月20日生まれ。広島県出身。幼少時に渡米し帰国後に旧制広陵中(現広陵高)に編入。明大では野球部のマネジャーとして29年の世界一周に同行した。政治家としては46年の戦後初の衆院選で初当選し、内閣官房副長官、外務政務次官などを歴任。野球だけでなく、戦後の日本のスポーツ復興に功績を残し、49年にサンフランシスコ・シールズが来日した際には日本側の実行委員長を務めた。58年に57歳で死去。

(紙面から)

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