2015.12.5 11:00(2/2ページ)

【私の失敗(5)】阿波野秀幸、クイック練習を多くして左肘の靭帯損傷

【私の失敗(5)】

阿波野秀幸、クイック練習を多くして左肘の靭帯損傷

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私の失敗
2000年限りで現役を引退。同年秋に古巣・巨人の2軍投手コーチに就任した

2000年限りで現役を引退。同年秋に古巣・巨人の2軍投手コーチに就任した【拡大】

 手首の腱を移植する“トミー・ジョン手術”も選択肢の一つでしたが、メスを入れずにウエートトレーニングで肘の周りの筋肉を鍛える方法を選びました。それまでは左腕をしならせる柔らかいフォームだったのに、明らかに投げ方が変わりましたね。140キロ台後半をマークしていた直球の球速は5キロほど落ち、10勝(11敗1セーブ)がやっとでした。この年は野茂英雄が入団し、投手のタイトルを総なめ。翌91年は野茂に負けまいと春先から飛ばしすぎて、5月に痛みで投げられなくなりました。

 次第に登板機会が減り、95年にトレードで巨人へ移籍。しかし、3年間未勝利に終わりました。98年も契約してもらえることになっていましたが、2度目の交渉の席で球団代表に「一から話を聞いてください。年俸が半額になってもかまいません」と新天地での再出発を志願しました。

 そして、近鉄時代の投手コーチだった権藤博さんが監督に就任した地元の横浜(現DeNA)へ移籍。走ることから体を鍛え直し、「肘が壊れてもいいから、目いっぱい投げよう」という気持ちで投げました。98年は50試合に登板し、5年ぶりの勝利を含む4勝。チームにとけこめるように何かと気に掛けてくれた守護神の佐々木主浩には、本当に感謝しています。

 86年秋のドラフトで1位指名された3球団すべてでプレーしただけでなく、すべてで優勝し、日本シリーズにも出場しました。横浜では初の日本一を経験し、幸せな現役生活だったと思います。 (この項おわり)

(紙面から)

  • 1998年に移籍した横浜でセットアッパーとして復活。初の日本一も経験した