2015.12.5 11:00(1/2ページ)

【私の失敗(5)】阿波野秀幸、クイック練習を多くして左肘の靭帯損傷

【私の失敗(5)】

阿波野秀幸、クイック練習を多くして左肘の靭帯損傷

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私の失敗
1998年に移籍した横浜でセットアッパーとして復活。初の日本一も経験した

1998年に移籍した横浜でセットアッパーとして復活。初の日本一も経験した【拡大】

 プロ1年目から4年連続で2桁勝利をマークしましたが、4年目の1990年は、残念な思い出があります。この年にボークの判定が厳しくなりました。自分で言うのもなんですが、私の牽制(けんせい)は客観的に見て、ボークかそうでないか、非常にまぎらわしいものだったと思います。亜大時代に「武器の一つ」と誇れるまで、磨き上げたものでした。

 春季キャンプで審判員に確認してもらうと、「ボークではない」。ヤクルトとのオープン戦では敵将の野村克也監督から「あの牽制はプロの技術の一つや」とほめていただきました。自信をもってシーズンに臨みましたが、4月15日のロッテ戦(川崎)で、プロに入って初めてのボークを宣告されました。同22日の西武戦(西武球場=現西武プリンスドーム)では一塁と三塁のベースコーチが一斉に「ボークだ! 審判、よく見ろ!!」と叫びました。

 審判団の説明は「投球動作の変更」とだけ。それ以降、関東での試合は特に神経質になりました。意地になって一度も牽制しない試合もありましたが、そうとわかれば相手は盗塁を仕掛けてきます。シーズン中にクイックモーションの練習を多くしたところ、左肘の靭帯(じんたい)を損傷してしまいました。

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  • 2000年限りで現役を引退。同年秋に古巣・巨人の2軍投手コーチに就任した