2015.12.3 11:00(1/2ページ)

【私の失敗(3)】阿波野秀幸、観客席で『球場1周』競走…「全員、退部だ!!」

【私の失敗(3)】

阿波野秀幸、観客席で『球場1周』競走…「全員、退部だ!!」

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私の失敗
1989年のパ・リーグ優勝の立役者たち。阿波野は19勝を挙げ、ラルフ・ブライアント(右)は本塁打王に輝いた

1989年のパ・リーグ優勝の立役者たち。阿波野は19勝を挙げ、ラルフ・ブライアント(右)は本塁打王に輝いた【拡大】

 横浜市立鶴ケ峯中の3年生になった1979年春、野球をやめていたかもしれないピンチがありました。失敗の舞台は、前年に開場した横浜スタジアムです。

 春の全国中学大会が開催され、監督が「全国のレベルを見ておけ」と、決勝に3年生を20人ほどを連れて行ってくれました。最初は一塁側観客席の上の方にかたまっていましたが、プロ野球の公式戦が開催される球場ですから、みんな興奮しています。そのうちに一人、また一人と「トイレに行ってきます」と席を立ったときに、おもしろいことに気付きました。当時の観客席は内野席も外野席も最上部がつながっていて、私を含む6、7人が試合そっちのけで「誰が一番速く球場を1周できるか」という競走を始めたのです。

 「通路を走るのはやめてください」と場内アナウンスが流れ、球場関係者に注意された監督は怒り心頭。私たちはグラウンドや観客席から見えない通路に整列させられて平手打ちを食らい、「全員、退部だ!」と通告されました。

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  • 88年に守護神として10勝24セーブを挙げた吉井理人(右)と