【阪神再建に挑んだ男たち】
36年当時の巨人ナイン。沢村栄治(右から2人目)、スタルヒン(同5人目)らそうそうたる顔ぶれが並ぶ【拡大】
ところが阪神の創設時の選手は藤村富美男を筆頭に、巨人軍が通路で道をあけたというほどの野武士軍団。案の定…初年度の公式大会で阪神は初戦で敗退し、阪急が優勝を飾った。こうなると電鉄本社が黙っていない。「こんなツキのないヤワなのじゃなくて、もっと迫力のある監督をさがせ」となった。なんだかつい最近の話みたいだけれど、これが創設時の監督交代劇なのだ。
それで甲子園でツキがあって威勢のいいヤツという条件でさがしたら、広島商(現広島商高)で3度甲子園で優勝した石本秀一(関西学院高等部商科=現関学大)というのがいた。毎日新聞広島支局勤務の石本を「甲子園と相性がいい」という理由で口説き、それだけで石本も二つ返事でOKした。
なにしろプロ野球の名将鶴岡一人ら数多くのレジェンドを輩出した広島商は現監督金本知憲の母校広陵高とは広島の早慶戦といわれていたぐらいだし、その鍛錬には昔は「真剣白刃渡り」すらやらせていた。
実際にその部屋も取材したが意識改革にはもってこいだ。それに「あんたは甲子園と相性がいいから監督を頼む」といわれて支度金(契約金)の話すらもさだかではないのに阪神にとびこみ、そこから石本新監督の超スパルタ指導が始まる。