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【私の失敗(5)】黒江透修、娘に手を上げた後悔で“仏の黒江”に…若者には諭すことも

【私の失敗(5)】

黒江透修、娘に手を上げた後悔で“仏の黒江”に…若者には諭すことも

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私の失敗
2008年は渡辺監督(右)の下、西武ヘッドコーチとして日本一に

2008年は渡辺監督(右)の下、西武ヘッドコーチとして日本一に【拡大】

 まさか、自分が“仏の黒江”になるとは思わなかったよ。36歳で指導者となって以来、一貫して選手には厳しく、あえて嫌われ役に徹してきた僕が、あのミーティングを境に選手との接し方をガラリと変えたんだ。

 2008年、69歳の僕は14年ぶりに西武に戻り、渡辺久信監督の下でヘッドコーチを務めた。シーズンインしてすぐ、三塁手の“おかわり”こと中村剛也がエラーして、続けて2試合落とした。反省の色が見えない中村を見て、「全員集合!」。選手をミーティングルームに集めた。

 選手らは当然、僕がカミナリを落とすと覚悟し、神妙な顔で頭を垂れている。「中村!」。申し訳なさそうに顔を上げた中村と目と目が合った瞬間、僕はとんでもないことを言い始めていた。

 「ごくろうさん、あのゴロは難しかったな。今までオマエのホームランで、チームはどれだけ勝っているんだ。気にするな。明日から、しっかり練習しような」

 自分の言ったことに驚いた。いつもだったら「練習をいいかげんにやっているからエラーするんだ」と一喝していたに違いない。そのとき、少し前の苦い思いが、ふっと頭をよぎっていた。

 僕には47歳のときにできた娘がいる。自分なりに大事に育ててきたつもりだ。その娘が二十歳を過ぎた頃から、たびたびお酒を飲んで夜遅く帰ってくるようになった。玄関から女房の注意している声が響いてくる。何度目だったろうか。さすがに目にあまり、怒鳴りつけた。「何時だと思っているんだ!」。その瞬間にパチンッ。初めて娘に手を上げていた。

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  • 2008年春の宮崎・南郷キャンプで中村(右)を指導。その後“仏の黒江”となった