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【私の失敗(5)】荒木大輔、指導者になって分かった野村監督の操縦術

【私の失敗(5)】

荒木大輔、指導者になって分かった野村監督の操縦術

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私の失敗
1992年10月10日に14年ぶりのリーグ優勝。5回1失点と好投した荒木(背番号11)も胴上げの輪に加わった

1992年10月10日に14年ぶりのリーグ優勝。5回1失点と好投した荒木(背番号11)も胴上げの輪に加わった【拡大】

 「ヤクルトでの最後の4年間(1992-95年)は、野村克也監督への反骨心で頑張った気がします。92年の春先のことです。89年に一緒に右肘の手術(自身は3度目)を受けた高野光さんと2人でリハビリの経過報告に呼ばれましたが、監督は高野さんに話を聞いただけでした。何のために僕を呼んだんだ、と腹が立ちましたよ」

 野村監督とはリハビリ中だった90年から6年間、同じユニホームを着た。92年9月24日の広島戦(神宮)で1541日ぶりに1軍登板。14年ぶりのリーグ優勝がかかった10月10日の阪神戦(甲子園)で先発し、5回1失点と好投した。

 「今考えると、これが野村さん流の選手操縦術なのかもしれません。一番大事な試合で僕を使ってくれましたからね。のちにコーチとして選手を選ぶ立場になったとき、僕に野村さんのような決断ができるかな、と思いました。やっぱり、すごい監督さんですね」

 96年に横浜へ移籍し、その年限りで引退。評論家活動を経て、2004年に西武投手コーチに就任した。

 「まず、松坂大輔(現ソフトバンク)への特別扱いをやめました。1軍投手陣で一番年下なのに、ノックの球拾いを免除されているし、先輩とタクシーに乗るときは先輩が前に座り、松坂は後部座席でした。球拾いに行かせ、集合時間には10分前到着を厳守。茶髪はやめさせました。本人に響いたかどうかは分かりませんが、成績を上げて、本当のエースになりましたね」

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  • 2006年の西武コーチ時代(左)。エースの松坂(右から2人目)も特別扱いしなかった