2015.8.7 11:00(1/2ページ)

【私の失敗(4)】柴田勲、右打席専念指令で成績急降下

【私の失敗(4)】

柴田勲、右打席専念指令で成績急降下

特集:
私の失敗
1972年9月13日の阪神戦で三盗を決め、通算400盗塁をマーク。生涯通算579盗塁は現在もセ・リーグ最多記録だ

1972年9月13日の阪神戦で三盗を決め、通算400盗塁をマーク。生涯通算579盗塁は現在もセ・リーグ最多記録だ【拡大】

 「1967年に自己最多の70盗塁をマークした翌68年のことだったね。開幕後にスイッチヒッターをやめて、右打ちに専念させられたんだ。最初の年はよかったけど、続く2年間は成績が上がらずに代打を出されたり、スタメンを外されることもあってね。川上哲治監督に『もう一度、スイッチに戻したい』と言うと、あっさり『ああ、わかった。打ってくれさえすれば(右打ち、スイッチの)どちらでもいいんだ』って。だったら、もっと早く(スイッチに戻していいと)言ってくれと思ったよ」

 68年はいずれも自己最多の26本塁打、86打点を記録したが、69年は9本塁打、32打点、70年は9本塁打、40打点に終わった。

 「62年に王貞治さんが初めて本塁打王のタイトルを獲得して、長嶋茂雄さんとのコンビが『ON』と呼ばれるようになった。65年からV9がスタートしたけど、ONの後を打つ5番打者が育たなくてね。近鉄から関根潤三さん、広島から森永勝也さん、大洋(現DeNA)から桑田武さんらを引っ張ってきたものの、全盛期の力はなかった。僕は右の方が長打力があるから、それを期待されてのことだったんだ。でも、右投手の内角へのシュートが苦手でね。意識すると、外の球も打てなくなった。右打ちに専念した3年間で、ヒットを50-70本は損したんじゃないかな。当然、盗塁の数も減るから給料は上がらないよ。嫌々専念させられたんだから、最初に『スイッチのままでやらせてください』と断っておけばよかったなあ」

【続きを読む】

  • 巨人がV8を達成した72年は打率・297と自己最高をマークした