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【私の失敗(4)】駒田徳広、権藤監督と“確執”…代打出され試合中に帰宅

【私の失敗(4)】

駒田徳広、権藤監督と“確執”…代打出され試合中に帰宅

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私の失敗
同年9月6日の中日戦の二回に左翼線二塁打を放ち、通算2000安打を達成した

同年9月6日の中日戦の二回に左翼線二塁打を放ち、通算2000安打を達成した【拡大】

 「人生の中で一番頭にきましたよ。代打を出されたことより、自分の居場所がないと感じてね。ロッカールームで暴れて、ユニホームをゴミ箱に捨てて…。山下大輔ヘッドコーチが心配して『2000本という目標があるじゃないか。きょうは帰っていいから(次戦の)神宮には必ず来いよ』と言ってくれました。新聞には『無断帰宅』と書かれましたが、山下さんの言葉がありますから、無断じゃないですよ。でも責任転嫁をしたくなかったので、名前は出しませんでした」

 その日は父の日。夫人の美佳子さんと子供たちも球場で観戦していた。

 「フジテレビが僕に密着していましたが、女子アナウンサーは泣き出しちゃうし、映像は全部ボツですよ。でも、うちの奥さんはよく分かっていましたね。すぐに携帯電話にかけてきて、『もう帰るんでしょ』って。帰宅すると藤田元司さん(元巨人監督)、近藤昭仁さん(横浜移籍時の監督)、巨人で1年先輩の岡崎郁さん(現巨人2軍監督)から電話があり、『元気なのはいいけど、ちゃんと謝りに行けよ』と心配していただきました」

 約1カ月間の出場選手登録抹消を経て、7月18日に戦列復帰。9月6日の中日戦(ナゴヤドーム)で史上29人目の通算2000安打を達成した。しかし、打率・258、4本塁打、34打点は横浜での7年間でいずれも自己最低だった。

 「達成から数日後、球団が『来季は契約しない。引退してくれないか』と。2000本を打つためにやっていたと思われるのは嫌だったし、あと1年、チームのためにプレーしてからバットを置きたくてね」

 引退を拒否して退団したが、移籍はかなわず、年が明けた1月18日に引退を発表した。

(紙面から)

  • 2000年6月18日の広島戦で代打を送られて憤慨。試合途中に帰宅した