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【私の失敗(1)】駒田徳広、“王貞治二世”にはなれなかった

【私の失敗(1)】

駒田徳広、“王貞治二世”にはなれなかった

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私の失敗
1983年4月10日の大洋戦で衝撃の満塁本塁打デビュー。淡口憲治(左)、原辰徳(背番号8)に笑顔で出迎えられる

1983年4月10日の大洋戦で衝撃の満塁本塁打デビュー。淡口憲治(左)、原辰徳(背番号8)に笑顔で出迎えられる【拡大】

 史上初の満塁本塁打デビュー! 巨人、横浜(現DeNA)で通算2006安打をマークした駒田徳広氏(52)は1983年4月10日、大洋(現DeNA)戦でのプロ初打席で衝撃の一打を放った。1メートル91、90キロの恵まれた体から「王貞治二世」と期待されたが、ホームランバッターにはなれなかった。

 「“失敗は成功のもと”といいますが、“荒川道場”での練習は直接、成功には結びつきませんでした。王貞治監督にも迷惑をかけましたね。プロ4年目の1984年5月、試合後に王監督から『ちょっと車に乗れ』と言われて連れて行かれたのが、王さんの一本足打法の師匠だった荒川博さんの自宅です。『勉強してこい』と送り出されました。1年後輩に中距離ヒッターの吉村禎章がいたので、僕は本塁打を期待されたんです」

 プロ初打席で満塁本塁打を放つ華々しいデビューを飾った83年は、86試合に出場して打率・286、12本塁打。84年に助監督から昇格した王監督から“和製大砲”の期待をかけられた。

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  • 83年にブレークし、レコーディングに臨む巨人の「50番トリオ」。(左から)背番号「50」の駒田、「54」の槙原寛己、「55」の吉村禎章