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【私の失敗(4)】定岡正二、飛ばしすぎて右肩痛め開幕1軍ならず

【私の失敗(4)】

定岡正二、飛ばしすぎて右肩痛め開幕1軍ならず

特集:
私の失敗
1985年オフにトレードを拒否して巨人を任意引退。翌春に米大リーグ、ドジャースのキャンプに参加して、ユニホームを脱ぐ覚悟を決めた

1985年オフにトレードを拒否して巨人を任意引退。翌春に米大リーグ、ドジャースのキャンプに参加して、ユニホームを脱ぐ覚悟を決めた【拡大】

 「僕のプロ野球人生は、長嶋監督とともにスタートした。1年目の3月、ベロビーチキャンプで飛ばしすぎて、右肩を痛めてしまったんだ。当時は調整方法が分からないし、今のようにコーチが個々の球数をチェックするわけじゃない。暖かいし、いいところを見せようと急ぎすぎたね。でも痛いなんて言えない。後半は投げ込みができず、開幕1軍に入れなかったよ」

 長嶋茂雄が現役を引退し監督に就任した1974年の秋、巨人はドラフト会議で鹿児島実高のエースだった定岡を1位指名。翌春のキャンプは2月の宮崎に続き、3月は米フロリダ州ベロビーチのドジャータウンで行われた(1軍のみ)。

 「普通なら、高校から入団したばかりの18歳の僕がメンバーに入れるわけないでしょ。話題作りもあったと思うよ。監督とのツーショットとか、カメラマンの注文も多かったしね。代わりに、3年前のドラフト1位だった横山忠夫さんが落選。のちに『お前のせいだ』と言われたよ」

 定岡は80年に9勝を挙げ、江川卓、西本聖と先発3本柱の一角に成長。82年には自己最多の15勝を挙げたが、4年後の86年、一人でベロビーチを訪れることになった。

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  • 引退発表後の85年12月、バラエティー番組で加藤茶(左)、志村けん(右)と共演