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【私の失敗(3)】高田繁、朝の4時過ぎまで眠れなかった監督時代

【私の失敗(3)】

高田繁、朝の4時過ぎまで眠れなかった監督時代

特集:
私の失敗
1984年10月26日、日本ハムの監督就任発表で大社義規オーナー(左)、小島武士球団社長(右)と。39歳の青年監督が誕生した 

1984年10月26日、日本ハムの監督就任発表で大社義規オーナー(左)、小島武士球団社長(右)と。39歳の青年監督が誕生した 【拡大】

 2008年からはヤクルトで監督をやらせてもらった。日本ハムでは4年間やって5位、5位、3位、3位。厳しさはよく分かっているつもりだったけど、話をもらうと引き受けてしまうんだよな。監督という仕事には、それだけの魅力があるんだよ。おもしろいなと思う選手がいても、監督でなければ、試合で使うことはできない。もちろん優勝が一番だけど、“原石”のような選手を見つけると、こんなに楽しいことはないよ。

 ヤクルトでの最初の2年間は5位、3位。3年目は開幕から46試合で勝率・289(13勝32敗1分け)の不振。歯車が一つ狂うと、どうしようもなくて、手を尽くしたけど立て直せなかった。球場で少年ファンから罵声(ばせい)を浴びせられたのもこたえたよ。きっと、周りの大人が言わせていたんだろうけど…。時間がないときもできるだけサインの求めに応じるなど、子供には意識して、よく接してきたつもりだったから、ショックだったなあ。

 クビなら仕方がないが、球団は「最後まで頑張ってくれ」と引き留めてくれていた。耐えて指揮を執り続けるのも一つのやり方だと思うけど、監督が代わらないとチームは変わらない-。そう決断し、5月26日、シーズン途中で辞任した。

(紙面から)