2015.2.21 12:39

【東北球人魂】大観衆の前で大けがを負った遠藤一彦の苦闘(下)

大洋のエースとして活躍した遠藤。しかし、87年には右アキレス腱断裂の悲劇を味わった。

大洋のエースとして活躍した遠藤。しかし、87年には右アキレス腱断裂の悲劇を味わった。【拡大】

 記録より記憶に残る東北球人を取り上げる今連載。今回は大観衆の前で右アキレス腱(けん)を切った福島・学法石川高出身で元大洋(DeNA)の遠藤一彦投手(59)=野球解説者=の2回目(下)です。絶頂期から地獄を味わい東北魂で復活した姿をたどります。

 1987(昭和62)年10月3日の巨人戦(後楽園)で右アキレス腱を断裂したエースは、直行した横浜市金沢区の横浜南共済病院にそのまま入院している。そして断裂したときに音がしなかったことについて、遠藤はこう説明した。

 「3年前から右足首に痛み止めの注射を打っていたんですが、打つ度にアキレス腱が傷つき、筆の先みたいに細くなっていたそうなんです」

 故障当初は軽く考えていたのも、2カ月におよぶ入院生活で事の重大さに気が付いた。見る夢もマウンドに行こうとしても足が動かないとか、球団が契約をしてくれないとかいったものばかりだったという。

 しかし本当の苦しみを味わうのは長期入院後だった。伊豆・下田での温泉治療と砂浜での4キロ歩行トレ。さらに自転車こぎ、水中歩行といったリハビリが続いた。キャンプではかかとを切ったスパイクを着用。そんな苦境を支えたのは反骨心の東北魂であった。

 復活に向けて掲げたのは3つの心構え。1つは開幕投手だ。「なるんだという気持ち。病は気持ちですから」と本人。2つ目はバイオビームという約20万円の器具。磁気で血行をよくするもので右かかとに当て続けた。そして3つめは好きな肉類を意識して避け、ビタミンAとカルシウムをとった。すべてはアキレス腱にいいと聞いたためだった。

 苦労が実ったのは88年5月4日のヤクルト戦(横浜スタジアム)。開幕4試合目のマウンドで前年9月27日の広島戦以来、220日ぶりの白星を飾ったのだ。

 「ほっとしました」。これは試合後の談話だが、現在の遠藤は「復帰後の2年間の記憶がぷっつりとない」という。結局、開幕投手に返り咲く夢も実現はしなかった。エースといわれた男として思い出したくもない過去なのかもしれない。(プロ野球取材歴40年、角山修司)